鬱に勝つには、うつむくな。

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ここのところ立て続けに「うつ」だという患者さんが来た。今日来た患者さんは、定年後に仕事がなくなってから、うつになってしまったという。薬も処方されて飲んでいるそうだが、かえって物忘れがひどくなって、出るのがおっくうになってしまったという。

こういうときは、気が虚してお腹が冷えていることが多いので、お腹に鍼をうち温灸で温めた。身体の中心から気が湧きあがるよになれば、元気がでてなんの心配もないと説明した。後は、脳の中心の間脳に刺激をいれることが大切なので、気功で顎を引いて胸を突き出す運動で、間脳に刺激をいれるといいといっしょに動いて説明した。

お腹に力が入らないと前かがみになり、猫背になりがちだ。胸を張るとそれだけで、気持ちがいいし、なんとなく元気がでてくるものだ。気分が落ち込み調子の悪いときは、首の後ろがやはり硬くなって気になると納得していた。

それともう一人の患者さんは、かかとにお灸してあげたら良く眠れるようになったと喜んでいた。

気の流れを調整することで、元気がでれば、気分も明るくなるものだ。

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寝ていて体を痛める寒さ

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昨日は、背中の痛みも治まり、元気復活と思ったが、今朝は、また、寒かったのだろうか。寝ていて、首が痛くなった。このところの寒さは、尋常ではなく身体にこたえる。雪国も記録的な大雪になりそうで、大変な冬となってしまった。幸い動き出したら、すぐに痛みは消えてしまった。

最近、寒いのにもかかわらず、歩いたりジョギングをしている人をよく見かけるが、なんだか仲間がいるようで励みになる。気功教室もみなさん喜んで参加してくれているのでありがたい。やはり、一人よりもたくさんの人がいた方が、参加しやすいし、長続きするようだ。みんなと会って、話をするだけでも心が晴れて気分転換できるものだ。

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気功は、身体と心を柔らかくする体操だから、寒さに負けない身体を作ることができる。もし、気功をしていなかったら、どうなってしまっていたか。身体も心もこちこちで動けなくなってしまっていたかもしれない。気功は、若さと心と身体の健康を保つ秘訣といえそうだ。

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そういえば、先週気功の生徒さんが、やはり首が痛いと言っていたが、ちょっと指圧をしてあげたら、だいぶよくなったと喜んでいた。気功をはじめてから、半年ぐらいおかしかった首の痛みもすっかり消えていたとも言っていた。うちの気功教室では、特に首周りを柔らかくほぐす動きが多いので、その効果がでたのだと思う。

みなさんも首が回らなくなったら、ぜひ、薬師堂にお越しください。

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毎日、寒い日が続きますね

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毎日、寒い日が続きますが、皆さんはいかがお過ごしですか。こちらは、先週、寒さのせいでしょうか。ちょと背中を痛めまして、おとなしくしていました。一度治りかけたんですが、木曜日にジョギングしたら、また、ぶりかえしました。背中は、手が届かないので、自分で鍼をうつこともできず、困った事になります。こんな時は、やはり、よきパートナーが必要と痛感しますね。

それにしても今年は、寒いですね。寒いと活動がにぶりますね。絵も描けないし、写真もあまり撮っていません。そんな中でも、ボタンインコのピー2世は、元気です。最近は、あまり外に出して遊んでやっていませんが、それなりに生活になれたようで、楽しげに籠の中で遊んでいます。

今週は、背中の痛みも治まってきたので、また、徐々に活動を再開してゆきたいと思っていますので、また、よろしくお願いします。

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仏になる

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前回の続きだけれども、なかなか絵がうまく描けたので、別に載せてみました。

仏像や仏画に描かれる二つの光背の意味が、そこにあるように思う。つまり仏になるというこは、元々の一つの意識に帰り一体化するということを表している。

雑念が消え、力がぬけ、ほどけてゆく。ほどけ、ほっとけ、楽になる。


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この太陽のように元々は一つだった。

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この太陽のように私たちの意識は、元々は一つだった。人生のスタートがたった一個の卵細胞だったことにも似ている。

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その一つの意識が二つに分離してしまったのが、今の私たちの意識の状態だ。意識の焦点が、光の中心から外れて、表面に移ってしまっている。この分離の苦しみこそが、この世のすべての苦しみ、悲しみの原因だ。

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分離して個我に芽生えた意識が、瞑想し思考を止めて、中心の意識と再び同調した時に、はじめてすべては一体化し、この分離の苦しみ、悲しみから解放される。

こんな感じでブクログにまとめてみました。写真は、前に載せたものだと思います。最後ははぶきましたが、写真と図を組み合わせるとより具体的にわかるように思います。

元々の命は、太陽と同じように一つだったんですね。いや、今でもその意識の太陽が輝いているのかもしれません。ただ、そこに焦点が合っていないので、それに気がつかないだけかもしれません。命が永遠のものであるなら、このちっぽけな肉体にいつまでもこだわっていてもしかたありません。

今、かわいいボタンインコを飼っていますが、鳥の場合は、いつあの世に飛び去ってしまうかわかりません。でも、だからと言ってそれに執着するつもりはありません。朝起きて、すでに冷たくなって落ちているかもしれないし、ちょっとした不注意で大空に飛び去ってしまうかもしれません。しかし、それは彼らの魂が、この世の役目を終えてもっと自由な世界へ旅立っていたのだと喜ぶべきことだと思います。

「放てば手に満てり」という言葉があるように執着をすてた生き物との付き合いこそ、お互いにとっていいのではないかと思います。

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海に浮かぶ意識

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ブクログ用に書いた文章です絵は、windowsについているペイントを使いました。いつも、このブログについているお絵かきソフトでかいているので自然ですが、これだとちょっとぼやけてしまいますね。人間の中の一番の中枢は、脳と脊髄でしょうか。その中に意識が、宿っているといえそうです。そして、それは、身体の中の海のような脊髄液に浮いて夢想しています。どうせ見るなら、平和で喜びに満ちた夢を見たいものです。

私たちの意識は、脳と脊髄が小さな海とも呼べる脊髄液の中に浮かんでいるように、意識の海の中で夢見ている。
「青い海」は、どこにあるのか。それは、私たちの遠い記憶の中にあるのか。それは、私たちの脊椎の中にある。母の胎内でゆれている胎児のように今でも私たちはその中にいる。

 「青い海」の気功は、脊椎を中心に動かしながらしだいに命の故郷である「青い海」に帰ってゆく気功である。ゆったりとした音楽を聞きながら私 たちの意識はしだいに海に融けてゆき、その温かな慈愛に満ちたエネルギーを感じ癒されて、私という想いも融けて海そのものへと一体化してゆく。「青い海」 は、いつしか「光の海」へと変化してゆき、私たちの中心が開かれ、そこから流れ出る光と一体化してすべてが光そのものとなってゆく。そこにはただ光がある だけだ。

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おとなのためのスピリチュアルな絵本

薬師堂ブログで日々書き綴ってきた記事を、一冊の電子書籍にまとめています。その本が8ページになりました。さし絵と文章で直感的に理解してもらえればと思い、少しづつ書き続けています。ブログに載せておいた時とは、少し文章も変えていますので、よろしければダウンロードしてご覧ください。


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渦を巻く気の流れ

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太極拳を練習しているとお腹の中心から、渦を巻いて手まで気が流れてゆくのがよくわかる。腰を左、右、正面と動かすことで、自然と動きも気も手に向かって流れてゆく。関節を緩めることで動きが連動してゆく。元々は武術なのに緊張するのではなく、力を抜く事で動いてゆくというのが、面白い。

殺気とは違う、自然で柔らか気。水が流れるように外も動くし、内側の気も流れる。また、中東で緊張が高まっていて、ホルムズ海峡が封鎖されのではないかと心配されている。どうしていつまでも対立を繰り返してしまのか。お互いが欲望や力を抜いて、太極拳をするよな気持ちで気を回し交渉したら、けっして悲惨な結果にはならないと思うのだが、それぞれの習慣的思考のさがでそうもいかないのだろうか。

二人で向き合って気を回し合う推手という練習法がある。まあ、武術的にはいろいろな意味があるのだろうが、もっと気軽にお互いの「気」を回し、気をあわせる方法として取り入れたらどうかと思う。二人の間のエネルギーが循環しはじめれば、それだけで楽しい。二つのものが、一つに溶けて調和してゆくといことが実際の動きの中で確認できるということは、すばらしいことだと思う。国も人も一つに溶けて対立することがなくなれば、戦う必要もなくなるというものだ。

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成人の森

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今日は、子供を成人式に送ってきた。晴れ着に着飾った女の子や背広を着た男の子たちが、今日から大人の仲間入りをする。でも、全員同じようなかっこうをしているので、誰が誰やら個性がなく、見分けがつきにくい。まあ、日本で大人の社会に入るということはそういうことなのかもしれないが。

自分たちのころは、渋川市は植樹祭をしていた。だから、かっこうはそれぞれまちまちだったよな気がする。樹を植えるのにきどった格好やきれいなかっこうでくる人もいなかったろう。今では、その森の樹も大きくなって、新緑や紅葉の中を散歩をしたり、たまに森で太極拳をしたり、バーベキュウをしたりととても役立っている。

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一時間ばかりいわゆるえらい人のつまらない話を聞くよりも、よっぽど樹だけに気が利いていると思う。その当時は、あまりよくわからなかったが、今、思えば本当にいい成人式だったように思う。まさに地球環境の保護を先取りしていたのだから。

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今年もよろしくお願いいたします

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 今年もはや四日がたちました。あまりに時が早く過ぎ去ってしまうので、新年の挨拶も遅れてしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。時代の流れも比較的安定した緩やかな流れの時と、戦争や天変地異に見舞われる激動の時とがあるように思います。去年は、東関東大震災が起きたり、様々な歴史的な事件や変革が起きて激動の時期に入ってきたように感じます。今年もいろいろなことが起こりそうですが、自分の本質を見失わずにしっかりと生きてゆきたいものだと思います。

どんなに表面が波打ち激しく動いても、海底は静かで安定しているように、自分たちの内奥には少しもゆるぎない平和で落ち着いて満たされたされた世界があります。その世界に意識の焦点を合わせるように日々、心がけて生きてゆきたいものです。

たとえ世界が滅びなくとも、自分の肉体さえいつ消えて亡くなるかわからないのがこの世の常です。

君子安くして危うきを忘れず
存して亡ぶるを忘れず
治まりて乱るるを忘れず
ここを以って身安くして国家保つべきなり

平和な時代になっても、戦争のときのことを忘れない。
平和で安定していても、いざというときのことを考えて
準備しておくことを忘れない。

これは「易経」の中の言葉だそうですが、昔からこのように言われて来ているのです。だから、変化を常とするこの世に生きているかぎり、自分の本質をしっかり把握してなにがあっても大丈夫の自分を見つけるようにいつも心がけたいものです。

「絆」は、「気綱」とも書く事ができます。肉体だけみると個々ばらばらに存在するように見える人間も、エネルギーの世界では一つに溶ける事ができます。今年も気功や治療を通じてみさんとの気の繋がり、「気綱」を深めてゆきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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