この間の日曜日、子供と携帯電話を買いに行って来た。2年過ぎたのでMNPで新しいガラホに替えた。青系統の色が好きだったので、YmobileのDIGNIOケータイ2にした。残念ながら月々の支払いは今までよりも高くなりそうだが、好きな携帯に替えるのだからしかたないと思っている。まだまだ、二つ折り携帯の需要はあると思うので、他のキャリアも青色系統の魅力的な携帯を出し続けて欲しいものだと思う。落としても壊れにくいし、小さくて持ち運びに便利な二つ折りのガラホは、通話が主体の人にはまだまだ需要があると思う。
最近は、スマホが主流になったせいか、ウエストバッグも携帯を入れるポケットがなくなりつつある。このバッグも一応付いているのだが、大きさが合わずフックがかからないので、何度も携帯を落としてしまった。そこで下の金具の皮の糸を解いて上に移し変える方がいいのかとかいろいろと考えた。とりあえずカインズに行って探して見ようと思ったら、ちょうどいい物が見つかった。面ファスナーという名前のマジックテープだ。これを金具に合う大きさに切ってバッグに貼り付けるとぴたりとくっついてちょうどいい具合に収まった。
うつパニックになった人は、こうした身近な所の工夫から始めたら、いつの間にか苦しみ悲しみを忘れ去ってしまっているかもしれない。幸いカインズが家のすぐ近くにあるので、なにかあるとすぐに必要な物を見つけに行くことができる。こうしたことで、うつパニックになってしまった原因から意識の焦点がづれて、しだいに元気を回復することができたなら、これほどの親切はないのではないかと思う。遠くの名医より近くのカインズと言えるかも知れない。
連休中から昨日までかかって、廊下に鍵のかかるドアを取り付けた。インターネットで2万円ちょっとで注文できて、少し時間がかかったが、ゴールデンウイーク前に届いたので、今流行りのDIYで自分で取り付けた。Youtubuで同じような動画を見て調べていたので、だいたいの手順は頭に入っていたので、ドアの説明書を読みながら、作業に取り掛かった。
まずはじめは、ドア枠が三方しかなかったので、近くのカインズで材木を買って来て、上のドア枠の板の長さと同じに切ってドアとドアの間に挟み、幅のあるセロテープで固定した。これでドア枠が四角になって安定したので、次にドアを廊下の壁の間の隙間の幅を計り、それ合う材木をまたカインズに買いに行った。
だいたい厚さの合う板を二枚買って来た。幅は9cmとドア枠の幅とぴったりだったが、一本の板が曲がっていたので、手で持ち運んで行ってカインズで曲がっていない板と交換してもらった。けっこう曲がった板もあるので、材木を選ぶ時は、気をつけなければいけないということを初めて知った。
こうして試行錯誤しながら、一昨日やっと完成した。完成してみると達成感というよりも「あるべき所に在るべきものがある」という満足感が心を満たしていった。二階を人に貸すようになったので、これでやっと安心して暮らせるという安心感に満たされた。「さるべきにやあらん「」ではないが、はじめからそうなるはずだったのだろうと思われた。
何年か前にストレスから心臓が痛いと夜中に救急車で病院に運ばれていた患者さん。今では、すっかり元気になって、今度のゴールデンウィークはどうやって過ごそうかと楽しみにしている。それも薬師堂の治療を信じて毎週治療に通いながら、自分にとってワクワクできる音の世界を発見したからだ。
まだ辛い時は、「寝ながらできる元気気功」であるとか般若心経を唱えてみるとか。こちらが進めることを素直に実践してくれた。そして、だいぶ回復してきた時に、ハイレゾの音が楽しめるパソコンをご自分で組み上げたあたりから、夜の趣味の作業を楽しめるようになり、どんどん元気になっていった。
昼の仕事以外に充実した楽しめる夜があれば、パニックをおこして心臓が苦しくなることもなくなり、楽しくて楽しくて不安や恐怖はすっかり忘れてしまったようだ。このようにワクワクすることがあれば、うつやパニックはどこかへ吹っ飛んでいってしまうのだろう。これは薬を飲むより何百倍も効果があるように思う。
たまたまGAIAの夜明けという番組で定年退職した技術者の方たちが作った会社で、「ミライスピーカー」というのを作っているという番組をやっていた。「ベテランの革命」という題だったが、そこに登場するベテランの技術者の方が新しいスピーカの開発を楽しくてしかたないと言いながら行っていた。治療の後、患者さんとその動画を一緒に見ると、その人も自分で小さなスピーカーを作ったばかりなので、興味深く見ていた。物を作る楽しみ、ワクワク感が同じようにわかるようっだった。
自分にとってワクワク、楽しくなるようなことが見つかれば、うつやパニックも楽しく克服できるのではないだろうか。
シリコンバレーで禅が流行っているといわれてもうしばらく経つ。googleなどの時代の先端の企業で瞑想を取り入れているということで、日本にもマインドフルネスという言葉で逆輸入されている。禅を取り入れたほうが、仕事の効率が上がって、企業にも社員にも利益になるということなのだと思う。
本来は、そうした利益を超えた所に本当の意味があるのだろが、この世の人に理解してもらうには、いかに役に立つのかということを説明する必要がある。日本人は、元々禅の歴史が長く禅宗のお寺も至る所にあるのだから、何もいまさらアメリカの真似をしなくともと思うが、それらが形骸化して一般的ではなくなってしまっている。坊さんに会えるのも普通は葬式の時ぐらいだ。だからこそかえってマインドフルネスと言ったほうがかっこよく一般の人にとっても受け入れ易いのだろう。
自分でも日々瞑想や般若心経の読経を実践していて、どうしたら分かり易くその意味や効果を伝えることができるのだろうかと気にかけている。今日思いついたのは、「脳のどこに焦点を合わせれば、身体の中心から気がわきあがって元気に満たされて、精神的にも安定して喜びに満たされるのかを明確にしてはどうだろうか。」ということだ。やはり、一般的な人にとっては、具体的で即効果がわかるものでないとなかなか興味を持続させるのも難しいだろう。脳の中心、間脳のどの部分に意識の焦点を合わせた時に、身体にどんな変化が現れて、たとえば中心から気が湧き上がるのが実感としてわかったりすば、興味をもっていつもでも追及できるようになるだろう。
まあ、形のあるもではないので、伝えるのはなかなか難しいのだが。
最近、テレビのコマーシャルでやたらと人生100年時代と言っているが、それはどういう意味だろうか。このままいくと100年も生きてしまうから、気をつけろということか。人が長く生きれば生きるほど、楽しくなるどころか社会的にも不安と絶望が増えるだけではないだろうか。
今の社会は、生きるべき方向性を見失っている。だから、不安と税金ばかりが増え続ける。高く生きるとは、生きる方向性が変えるということだ。ただ、いたずらに長く生きることは求めない。自分の本質を生命エネルギーの流れであるとしっかり認識して、肉体や物質そしてこの世にも執着することなく、自らの本質に到達することを第一目標として生きるということだ。
それは、ひばりが春になると天高く鳴くように天に向かって垂直に上昇するような生き方だ。しかし、人間の意識というものも重力に支配されてしまっているのだろうか。普通は、水平に生きることしか思い描くことができないようだ。水平に移動すれば、人とぶつかり領土を広げようとして戦争が起きたりして、人と人が傷つけあってしまう。
人と社会が、意識を深め、精神的に高く生きる楽しさ素晴らしさに気が付くことができれば、これからやってくる超高齢化社会の苦しみもなくすことができるだろう。
昨日までの三日間頭痛がなかなか治まらなかった。いつものように針を頭のつぼにさし、鼻づまりを取り、腹部に左回りで針をさして邪気を抜いていったが、治療で一旦は収まっても再び、だんだん頭が痛くなっていた。
最後の花粉のあがきなのか。はたまた金曜日に参列した長いお葬式で何か受けてしまったのか。とにかくしつこい頭痛だった。昨日も家族で花見に山に出かける予定が、また、頭痛が起きたので、家に帰って針を打っては寝ての繰り返しで自分で治療した。一旦寝て多少頭痛が軽くなったので、般若心経を20回ほど唱えたら、ガスが出て体がだいぶ楽になった。邪気が抜けたと感じた。
その後は、今朝起きてからも頭痛はでなくなった。今年は、雨が少なくいつまでも花粉が飛んで大変な春となった。それにしても桜の花が散り、葉桜になるとしだいに花粉も収まってくるのは不思議だ。桜は、春のスイッチで桜が散ると一斉に山の緑が噴出して、里山が新緑で覆われるようになる。この辛い春の後に居眠りがでるようなのどかの春が訪れるのだろうか。
花粉症で鼻の詰まりは、針を頭に繰り返し打っているとしだいに通って、眠れるようになるのだが、目の充血、かゆみ、目の周りの腫れはなかなか解消するのは難しい。夜寝てるいる間に、目脂にで上の瞼としたの瞼がくっついてしまうので、目が覚めると両手で上下の瞼を引き剥がして開けなければならないほどになる。
そんな時は、以前目医者に行ったときにもらった点眼薬をつけていた。今回それも終わってしまったので、高校時代の同級生がやっている歯科医院に行って、再び点眼薬をもらって帰ってきた。選択的ヒスタミンH1受容体拮抗薬とステロイド系のクスリをもらってきた。さっそくうちに帰って、点眼するとしだいに目の炎症が消えて、目脂に曇っていた目もよく見えるようになってきた。いつも思うのだが、けっこう効果的だ。目の炎症がひどいときにだけ使う分には、それほど副作用もないのかと思い使っている。
うちに治療に来ている看護師の人に花粉の前から内服薬も飲むといいですよとアドヴァイスされるのだが、そこまでクスリを使う気にはなれない。なぜなら、クスリにはリスクがつき物だからだ。そういえば、うちの長男は、生まれてから小学校に上がるぐらいまでアトピーがひどかった。ステロイドを使うと副作用で悪化すると思ったので、かゆみで苦しむ時は針で治療したり、肌に優しい湯の小野上温泉に連れて行ったり、毎年夏は海の塩水につけたりして、自然に治すことを心がけた。その当時は、両親や周りの人に医者に行って、クスリをもらって使うのように勧められたが、信念を曲げずに子供のためにがんばった。子供も随分辛い思いをしたと思うが、そのかいあって今ですっかりアトピーは治っている。
春なのにちっとも楽しくないのは、人間がそれだけ自然を汚してるということなのだろう。花粉症で流す涙は、自然の痛みであり苦しみなのかもしれない。
瞑想が自分に必要だとわかっていてもついつい雑念が浮かんでしまうという人は多いのではないだろうか。それは誰にとっても当然のことなのであまり気にする必要はない。普段、大脳皮質を使って、考え事ばかりしているのだから、突然、それをやめようと思っても思い道りにならないのは当たり前だ。むしろ、瞑想が自分にとって必要だと気づいたことをほめるべきだろう。
人間は、動物であり、絶えず動いていることで生きていくことができるのだから、じっと座ったままでいるというのは、初めは苦痛でしかないのかもしれない。だから、動きの中で静寂を求める方がむいている。たとえば、気功などは、単純な動きを繰り返し行うことによって、自分のイメージの世界に遊びながら、しだいに日常的な思考の世界から離れ、自由で開放された世界へ帰ってゆくことができる。
また、単純な言葉や般若心経を繰り返し唱えたりすると、しだいに複雑な思考ができなくなり、唱えながら瞑想状態に入ることができるようになる。はじめから無を求めるのではなく、一つのことに集中することによって、それ以外が無くなってくる方が入りやすいし、分かり易いと思う。
いずれにしても、夜星を見るためには、部屋の電気を消さなければならないように自我という意識の光は消さなければならない。
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