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脳のどこに焦点を合わせれば、元気が出て楽しくなれるのか。

Swich

シリコンバレーで禅が流行っているといわれてもうしばらく経つ。googleなどの時代の先端の企業で瞑想を取り入れているということで、日本にもマインドフルネスという言葉で逆輸入されている。禅を取り入れたほうが、仕事の効率が上がって、企業にも社員にも利益になるということなのだと思う。

本来は、そうした利益を超えた所に本当の意味があるのだろが、この世の人に理解してもらうには、いかに役に立つのかということを説明する必要がある。日本人は、元々禅の歴史が長く禅宗のお寺も至る所にあるのだから、何もいまさらアメリカの真似をしなくともと思うが、それらが形骸化して一般的ではなくなってしまっている。坊さんに会えるのも普通は葬式の時ぐらいだ。だからこそかえってマインドフルネスと言ったほうがかっこよく一般の人にとっても受け入れ易いのだろう。

自分でも日々瞑想や般若心経の読経を実践していて、どうしたら分かり易くその意味や効果を伝えることができるのだろうかと気にかけている。今日思いついたのは、「脳のどこに焦点を合わせれば、身体の中心から気がわきあがって元気に満たされて、精神的にも安定して喜びに満たされるのかを明確にしてはどうだろうか。」ということだ。やはり、一般的な人にとっては、具体的で即効果がわかるものでないとなかなか興味を持続させるのも難しいだろう。脳の中心、間脳のどの部分に意識の焦点を合わせた時に、身体にどんな変化が現れて、たとえば中心から気が湧き上がるのが実感としてわかったりすば、興味をもっていつもでも追及できるようになるだろう。

まあ、形のあるもではないので、伝えるのはなかなか難しいのだが。


 

長く生きるのは苦しく、高く生きるのは楽しい

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最近、テレビのコマーシャルでやたらと人生100年時代と言っているが、それはどういう意味だろうか。このままいくと100年も生きてしまうから、気をつけろということか。人が長く生きれば生きるほど、楽しくなるどころか社会的にも不安と絶望が増えるだけではないだろうか。

今の社会は、生きるべき方向性を見失っている。だから、不安と税金ばかりが増え続ける。高く生きるとは、生きる方向性が変えるということだ。ただ、いたずらに長く生きることは求めない。自分の本質を生命エネルギーの流れであるとしっかり認識して、肉体や物質そしてこの世にも執着することなく、自らの本質に到達することを第一目標として生きるということだ。

それは、ひばりが春になると天高く鳴くように天に向かって垂直に上昇するような生き方だ。しかし、人間の意識というものも重力に支配されてしまっているのだろうか。普通は、水平に生きることしか思い描くことができないようだ。水平に移動すれば、人とぶつかり領土を広げようとして戦争が起きたりして、人と人が傷つけあってしまう。

人と社会が、意識を深め、精神的に高く生きる楽しさ素晴らしさに気が付くことができれば、これからやってくる超高齢化社会の苦しみもなくすことができるだろう。

最後の花粉のあがきか三日の頭痛も葉桜になってやっと収まる

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昨日までの三日間頭痛がなかなか治まらなかった。いつものように針を頭のつぼにさし、鼻づまりを取り、腹部に左回りで針をさして邪気を抜いていったが、治療で一旦は収まっても再び、だんだん頭が痛くなっていた。

最後の花粉のあがきなのか。はたまた金曜日に参列した長いお葬式で何か受けてしまったのか。とにかくしつこい頭痛だった。昨日も家族で花見に山に出かける予定が、また、頭痛が起きたので、家に帰って針を打っては寝ての繰り返しで自分で治療した。一旦寝て多少頭痛が軽くなったので、般若心経を20回ほど唱えたら、ガスが出て体がだいぶ楽になった。邪気が抜けたと感じた。

その後は、今朝起きてからも頭痛はでなくなった。今年は、雨が少なくいつまでも花粉が飛んで大変な春となった。それにしても桜の花が散り、葉桜になるとしだいに花粉も収まってくるのは不思議だ。桜は、春のスイッチで桜が散ると一斉に山の緑が噴出して、里山が新緑で覆われるようになる。この辛い春の後に居眠りがでるようなのどかの春が訪れるのだろうか。

クスリのリスク

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花粉症で鼻の詰まりは、針を頭に繰り返し打っているとしだいに通って、眠れるようになるのだが、目の充血、かゆみ、目の周りの腫れはなかなか解消するのは難しい。夜寝てるいる間に、目脂にで上の瞼としたの瞼がくっついてしまうので、目が覚めると両手で上下の瞼を引き剥がして開けなければならないほどになる。

そんな時は、以前目医者に行ったときにもらった点眼薬をつけていた。今回それも終わってしまったので、高校時代の同級生がやっている歯科医院に行って、再び点眼薬をもらって帰ってきた。選択的ヒスタミンH1受容体拮抗薬とステロイド系のクスリをもらってきた。さっそくうちに帰って、点眼するとしだいに目の炎症が消えて、目脂に曇っていた目もよく見えるようになってきた。いつも思うのだが、けっこう効果的だ。目の炎症がひどいときにだけ使う分には、それほど副作用もないのかと思い使っている。

うちに治療に来ている看護師の人に花粉の前から内服薬も飲むといいですよとアドヴァイスされるのだが、そこまでクスリを使う気にはなれない。なぜなら、クスリにはリスクがつき物だからだ。そういえば、うちの長男は、生まれてから小学校に上がるぐらいまでアトピーがひどかった。ステロイドを使うと副作用で悪化すると思ったので、かゆみで苦しむ時は針で治療したり、肌に優しい湯の小野上温泉に連れて行ったり、毎年夏は海の塩水につけたりして、自然に治すことを心がけた。その当時は、両親や周りの人に医者に行って、クスリをもらって使うのように勧められたが、信念を曲げずに子供のためにがんばった。子供も随分辛い思いをしたと思うが、そのかいあって今ですっかりアトピーは治っている。

春なのにちっとも楽しくないのは、人間がそれだけ自然を汚してるということなのだろう。花粉症で流す涙は、自然の痛みであり苦しみなのかもしれない。

瞑想をしたくとも雑念が浮かんでしまう人へ

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瞑想が自分に必要だとわかっていてもついつい雑念が浮かんでしまうという人は多いのではないだろうか。それは誰にとっても当然のことなのであまり気にする必要はない。普段、大脳皮質を使って、考え事ばかりしているのだから、突然、それをやめようと思っても思い道りにならないのは当たり前だ。むしろ、瞑想が自分にとって必要だと気づいたことをほめるべきだろう。

人間は、動物であり、絶えず動いていることで生きていくことができるのだから、じっと座ったままでいるというのは、初めは苦痛でしかないのかもしれない。だから、動きの中で静寂を求める方がむいている。たとえば、気功などは、単純な動きを繰り返し行うことによって、自分のイメージの世界に遊びながら、しだいに日常的な思考の世界から離れ、自由で開放された世界へ帰ってゆくことができる。

また、単純な言葉や般若心経を繰り返し唱えたりすると、しだいに複雑な思考ができなくなり、唱えながら瞑想状態に入ることができるようになる。はじめから無を求めるのではなく、一つのことに集中することによって、それ以外が無くなってくる方が入りやすいし、分かり易いと思う。

いずれにしても、夜星を見るためには、部屋の電気を消さなければならないように自我という意識の光は消さなければならない。

花粉症を乗り切るための鍼灸治療

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先週は、花粉がピークに達したのか。とにかくひどかった。去年の後半から玄米をまじめに食べていたので、今年は大丈夫かと思ったが、やはり出てしまった。特にひどかったのは、金曜日の夜で目の周りは赤く腫れ、目は赤く充血し、目やにに目をつぶっているとまぶたがくっついてしまうほどだった。「これはひどい。明日は、一番で目医者に行って目薬をもらってこなければ、、明日、治療はできるだろうか。」と心配した。

そこで寝ながら、いつものように頭の中心線を百絵から鼻に向かう線上と左右の目窓というつぼのある線に沿って針を繰り返しうち始めた。頭につぼに針を打っていると鼻のつまりがとれてしだいに呼吸が楽にできるようになってくる。さらに目の周りにも針をうって、目の周りの腫れが引けるように繰り返した。

少し眠っては、また、鼻がつまって目が覚めるので、同じように針を打っていった。すると朝になるころには、だいぶ目の周りの腫れが引いて、真っ赤だった目の充血も治っていた。針は花粉症を治すことはできないが、炎症している気のエネルギーを動かすことによって花粉症の症状を消すことはできる。国も業者の人たちもいいかげん杉や檜の手入れをして、花粉症のないのどかな春を返して欲しいものだと思う。

 

視界にたまる糸くず

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しばらく気が付かなかったのだが、いつも愛用しているキャノンのSH700HSというカメラに糸くずのようなゴミが入ってしまい、写した写真にブーメラン形の黒い霞のような影がでるようになってしまっていた。このカメラの倍率が光学30倍とけっこう高いので、遠くの山がきれい写すことができるので気に入っていた。

 

はてさてどうしたものかとしばらく悩んでいた。近くのヤマダ電機に行って、レンズクリーニングセットを買って、掃除してみたり。掃除機に細い先をつけて吸ってみたりといろいろと試してみた。それでもうまくいかないので、いよいよこれは分解して掃除するしかないかと思いyoutubuで調べているとたまたま掃除機にトイレットペーパーの芯をつけてデジカメのレンズの周りにくっつけて吸っている動画を見つけた。な~るほどこれならうまくいくかもしれないとトイレットペーパーの芯を探したが、今のところ使い終わったのはなかった。そこで代替品はないかと探してみると防寒用に使ったエアキャップの芯が見つかった。ちゅっとでかいがまあいいかと思い、それを鋏できって使ってみた。

 

するとどうだろう。たった一回試してみただけなのに見事にゴミがなくなってきれいな画面に戻っていた。何かあるたびにyoutubuいはお世話になっているが、今回もまた見事に解決することができた。コロンブスの卵ではないが、ちょっとしたアイデイアで、見事に解決することができるものだと感心し、動画の投稿に感謝して、コメントを書き込んでおいた。

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カメラだけでなく、心の中にも長く生きているといろいろなゴミが溜まってくるが、こうして視点を変えることで、問題を解決して、また、きれいな濁りのない心の戻ることもできるのではないだろうか。


沈まない命

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「人の一生が終わったからといって、命が終わった訳ではない。それは、太陽が沈んだからと言って、太陽が無くなった訳ではないのと一緒だ。」昨日、知り合いの治療家のお宅にお線香を上げに行ってきた。その先生は、若い頃から身体が弱かったので、「いのち」とは何かいうことを大切に追求してきた先生だった。

そして、大杉さんの突然の死も報道された。大杉さんは、随分昔、まだ自分が大学生だった頃、研究生をしていた転形劇場という劇団の劇団員だった。バイトを紹介してもらったりした記憶がある。まだ、有名になる前で、生活的には苦労していたのだと思う。今では、すっかり有名になり、その死を悼む報道に随分いろいろな人に愛されていたんだなと思う。ある意味、苦労が報われてよかったなと思う。そのうち再会する時もあるかと思い楽しみにしていたが、その前に亡くなってしまって、たいへん残念だった。

そんな二人の死に接して、夜床に入ってから浮かんできたのが上の言葉だ。命というものは、生命エネルギーそのものであって、けっして無くならないものだと思う。それ対して、この世の出来事というのは、一時的で幻のように消えて行ってってしまうものだ。

無限の命に対して、この世の出来事というのは、あまりに限定的で一時的なもので夢のように儚いものだ。そしてこの世をそんな風に捉えることができれば、この世にいる閉塞感から開放されて、もっと自由に楽しくこの世を生きることができるようになるのではないだろうか。この世の虚構であること知り、そのドラマを幻として楽しむ。すべての人が、現実という舞台の中の登場人物にしかすぎない。そう思えば、何があったとしても、たとえこの世が一瞬のうちに滅びて無くなってしまったとしても、何も恐れることも悲しむこともないのかもしれない。

オリンピック、塚の間の夢

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連日、オリンピックの熱戦が続いている。男子フィギュアの羽生選手の二連覇やスピードスケートの小平選手の金メダルなどすばらしい結果が日本中を感動を巻き起こした。羽生選手は、まるで漫画の世界から抜け出してきたような異次元のすべりで観客を魅了した。小平選手は、氷を対話すると言った深みのある独特の感性をライバルをも包み込むその優しさが、見ている人の目頭を熱くした。

スケートというのは、地道で大変な努力を必要とする競技なので、このようなことが起こるのだろうか。スキーやスノーボードは、またちょっと違うのかもしれない。空高くジャンプしたりするので、勇気や度胸を言ったもの、また風などの自然からの運も影響するのかもしれない。そうして、彼らの名前を見ると小野塚とか鬼塚とか「塚」のつく名前と童夢、歩夢とか「夢」のつく名前が多いことに気がついた。

もちろん彼らもオリンピックを目指して厳しい肉体トレーニングを積んでいるのだろうが、それ以上にその時の一瞬の運も左右しているのかもしれない。4年に一度の大舞台、塚の間の夢だからこそ、その華麗さに酔いしれるのだろう。同じようにすべての人の一生もまた、夢のように儚く一瞬のうちに過ぎ去ってゆくものなのだと思う。

年を取っても増え続けるのは、生命エネルギーである気力だけだ

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年を取ると白髪が増える。根元から白くなってきて、ちょうど指一本分の幅になったら、床屋さんに行く。目の中にも小さなごみのような物が出始めて、細かい字が読みにくくなってくる。歯もだんだんぐらぐらと揺れ始める。ただ、般若心経を読んだり、瞑想をすると身体の中心から力強い気力がわきあがってくる。そんなときには、「年を取っても増え続けるのは、生命エネルギーである気力だけだな」と実感する。

年とともにこの肉体そのものが,この世から消えようとしている。しかし、実感として気の流れを感じることができていれば、その消失もそれほど心配ではない。エネルギーは永遠に不滅だということを感じられるからだ。今は、オリンピック開催中で金メダルと取ったとか取れなかったとか騒いでいるが、たとえ金をとったとしても、それらは、時間の経過ともにやがて失われていってしまう。老化とともに、やがては、自分自身の記録にも勝てなくなっていってしまう。

それならば、永遠に変わらない物、老化していっても増え続ける気力を身に付けてゆくことにしたらどうだろうか。それは、脳の中心を活性化するということと同じだ。脳の中心にある間脳を鍛えることで、この世の一時的刹那的な快感から開放されて、永遠の喜びに出会いその中にとどまることができるなら、金メダルを越えたそれこそ最高のゴールと言えないだろうか。

すべてが、老化することで失われる現実の中で、増え続ける喜びを気の流れとともに体感してみてはいかがだろうか。

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