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実相世界に近づきリフレッシュ

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一昨日は、山梨の八ヶ岳にほぼ一年ぶりに上江州先生の光話を聞きに行くことができた。山梨の会が、以前は土曜日で行きやすかったのだが、平日が多くなりなかなか行けなかった。ここもいい所だと思うが、会場は標高1000メートルを超えた所にあるので、また格別だ。

 

先生の話は、朝3時半に起きて、色紙を書こうとして机に向かったが、机も色紙も光輝いてしばらく何もできなかったということから始まった。つまりは、意識の焦点が覚りの状態に入っている時には、この世的なことをすることができない。この世で仕事をするには、振動数を落とさなければならない。それは、水の振動数が上がれば、気化して気体になってしまって、水のようにすくうことも出来なくなってしまうのと同じ事だという。

下界での生活は、水どころか氷のような固体の世界にいるようだが、たまに天に近い場所で、波動の高い先生や仲間と瞑想すると光の世界へと帰ったようで、非常に心地よい。できれば、すっとそこへとどまりたいが、この世での役目があるのでそうもいかない。自宅に帰ったとたんに現実に引き戻される。

ただ自分ができるのは、日々、気功や瞑想を通して自らの振動数を上げて、一歩でも光に近づき、気功や治療を受ける人たちにその喜びを伝えて行くことだけなので、これからも気の世界を日々深化させて行きたいと思います。

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共感のスイッチをオフにする

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人に対する怒りや悲しみは、相手の行動が自分の期待どうりにならない時に良く起こる。相手に裏切られたという想いは、時に人を狂気にも導き、自傷、他害の行動にでることもある。世の中には、必要以上にこちらにどんどん入って依存してくる人がいる。そんな人に同情して、こちらも感情移入してしまうと、その人があっさり自分から去って行こうとして時に裏切られたと感じることもある。

そういう人の場合、その性格がわかった時点で、共感のスイッチをオフにしてつきあうといい。そうすれば、その人が自分から去って行ったとしても何も感じることがない。相手の性格を見極めてつきあうことが大切なことになる。

たとえば、遺産相続における義理の兄弟とのつきあいとかけっこう問題になるのかもしれない。もし、そうした関係の中で傷ついてしまったと感じたら、知らず知らずのうちに自分を傷つけるのではなく、相手との共感のスイッチをオフにしてつきあえば、自分自身の心も体も健康で居られるのではないだろうか。

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気功指圧で腸が動く

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最近、うちに来るツバメは、なぜか今頃になって子育てします。しかし、雛もだいぶ大きくなってきたので、もうすぐ巣立ちできるでしょう。

話は変わりますが、気功指圧をしていると胃腸が良く動きだします。指圧をし始めたとたんにお腹が鳴り始めるという場合も多いです。しかも、内臓とはぜんぜん遠い首や足などを押し始めたとたんに動くことも良くあります。それは、気が全身に流れることによって内臓が働いているからです。

このことは、健康なうちはそれほど気にならないかもしれませんが、自分が難病に侵されて身体の動きがとれなくなってくると重要な意味を持つことになります。最近、ある病院の理学療法士の人が尋ねてきました。その人の受け持つ患者さんが、「小脳と脊髄が侵される難病を煩い、腸が捻転してガスがでなくなってしまっているので、鍼か指圧でなんとかならなりませんか」という問いかけでした。「腸捻転が治るかどうかはわかりませんが、腸を動かすことはできます。」と答えた所、数日後に「ではお願いします。」と頼まれて病院に出かけて治療することになりました。

初めて行った時は、パンパンにお腹が張っていたので、気功指圧をしていて簡単には腸が動き出さなかったのですが、その晩、詰まっていたものがどっさりでたら、楽になったと言ってくれました。あまりパンパンに張りすぎている時は、すぐには動きだしませんが、その時の刺激で腸が動きだし、その後にうまく排出できたのだと思います。次行った時は、ガスのないぺったんこのお腹の状態だったので、右手でお腹に手を当て、左の肘で左足の内側を指圧している時に、すぐに腸が動きだすのを感じることが出来ました。

気功指圧は、筋肉をもみほぐすというよりも、気を指先から注入することによって、内臓に気を入れて内臓を元気にし、その働きを高めることを目的としています。そういう意味で今回の依頼は、まさにこの指圧にぴったりで効果が発揮できるものでした。

人を治さば、我が身も癒える

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昨日も午前中、気功教室を終えるとなんとなく頭が痛くなった。それほどひどい痛みではなかったが、いつものように右の頭部から針を打ち始めた。そして腹部を一回り打って、しばらく眠ると痛みが大夫治まったので、しゃわーを浴び往診に行った。

5時に往診から帰ってくると、また少し痛み出したので、再び鍼を頭部から腹部にかけて打ち始めた。今回は、いつものように汗がどっと出てきた。そしてゲップもどんどん出てきた。まだ、冷えが体外に出きっていなかったようだ。7時から仕事が入っていたので、それまでに治せるのかと心配したが、6時半ぐらいになるとようやく落ちつて、少し眠ることができた。まだ、人を治療するのは、正直大変だったが、いつものように治療しているうちに治るではないかと思い治療に臨んだ。

案の定、治療が始まると体内から気がわき上がってきて、今までの心配は吹き飛んだ。まるで、自分とは何か別のものが入って治療しているように感じるほどだ。治療というのは、小さな自分という自己がしているのではなく、もっと大きな生命エネルギーの力がしているのだと思った。そして、力は内側からわき上がり、患者さんを治すと同時に自分をも癒やしてくれる。

治療が終わった後に患者さんが、「身体があつくなった。」と言ったので、「夏だらかちょっと温灸が熱かったでうかね。」と言ったら、「いえ、エネルギーが動いて元気になりました。」と言ったので、なるほどと思った。

結局内側からわき上がる生命エネルギーに満たされることで人は癒やされてゆくのだろう。

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梅雨と頭痛

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昨日は、午前中、庭でまだ張り残された所に防草シートを張った。これでだいたい雑草対策が完了した。いつでも雨が続いても大丈夫だ。きっと今までの年よりは、草刈りが楽になると思う。ついつい除草剤をまきたい衝動に駆られるが、庭にくる小鳥や自然のことを考えるとそう安易にも使えない。見た目はいまいちだが、梅雨の雨にどんどん伸びる草のことを思えば致し方ない。

そんな作業を終えた頃、左の頭が痛くなっていることに気がついた。一昨日は、右の頭が痛くなって、いつものように自分で鍼を頭から打ち始めると汗が出て、自然治癒モードに入った。2時間もど頭部腹部に鍼を打ったり、下したりしているうちにだいたい治まってきたので、最後はシャワーで汗を流して、4時から入っていた患者の治療をした。治療中は、まだ汗がでていたので、タオルでふきふき指圧をした。治療が次の患者さんが来るまで30分ほどあったので、ちょっと横になった眠ったら、だいぶ楽になった。

昨日は、今度は右の頭が痛くなったので、右の頭角から鍼を打ち始め、腹部を左周りに鍼を打っていった。ゲップがでてガスが抜けていく事に楽になって、これは2時間ぐらいで抜けていった。

梅雨は、湿気が多く汗をかきやすいので、どうしても冷えが身体に入ってしまい、頭痛が起きやすい。窓から入る風に注意して油断せずにこまめに汗を拭くことが大切なようだ。

 

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天の声 人の声

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自分がこのブログを書く場合、言葉がまるで天から降ってくるように内側からわき上がってくる場合もあるし、患者さんとの会話の中で刺激的な面白く役立つ言葉を頂く場合もある。

今日、往診に行った患者さんは、中学生時代に野球の試合をしていた時のこんな話をしてくれた。ある時、城南球場で試合をしている時にスタンドでキャンディーを売っているおじさんがいた。よくみると良く汲み取りに来てくれるおじさんだった。そこで「うんこ汲み来ているおじさんがキャンデー売りに来ているぜ」と皆ではやしたてたのだという。そうしたらそのおじさんが「うるさいおまえら、金ってのはな、きたなく稼いでもきれいに使えばいいんだ。」と言って怒鳴られたと言う。

その言葉が未だに忘れられずに、大勢の人を前に話をする機会があるとそのことを良く話したものだという。

ちょうど昨日浄化槽の掃除を友達にしてもらった所だ。汚いくさいと言っても、それらはみな元を正せば自分たちの身体からでてきたものだ。以前は、なぜそんなバイトを思ったが、今は、その働く姿ありがたさと美しさを感じるほどだ。下水が普及して汚い物を目にする機会が減ることは本当に良いことなのかかえって疑問に思う。

もし、昔から下水が普及していたら、汲み取りのおじさんが言ったような蘊蓄(うんちく)のある言葉は生まれなかったのだから。

本当の豊かさとは一体何なのか

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ある記事を読んでいたら、「インドネシアで地元の人たちが、笑いながら楽しそうにくらしているのに、自分はプール付き家に住みメイドもいる生活をしているのに毎日全然楽しくない。そこで本当の豊かさとは何かということを考えるようになった。」というような記事を読んだ。

「3丁目の夕日」という漫画があるが、高度成長期の前には同じように日本にも笑顔が溢れていた。そこには、まだ、人をほっとさせる時間と空間があった。それが経済的に豊かになるに従って、逆に失われ始めた。結果として、毎日、子供がいじめられて自殺したとか。学校が悪いと先生たちを責める親とか。嘘をついても平然と強行採決を繰り返す政府とか。介護疲れで無理心中する老人たちとか。そんな暗いニュースばかりになってしまった。

この間来た患者さんも急に葬式ができて、近くにできた1000円床屋に行ってきたんだが、ちっとも楽しくなかったと言っていた。自分も昔ながらの床屋さんに行っているが、値段はそれなりにするが時には2時間以上してもらうこともあるのだから、当然だと思う。それになにより安心して、終わった後もすっきり爽やかな気持ちになる。

また、長らくDVDを借りて映画やドラマを見ていたが、最近では、自動精算機に替わってしまって、店員の人とやりとりする必要がなくなってしまった店もある。そんな店には、やはり足が遠のき行きたいという気持ちもなくなってしまう。

今の時代は、何か大きな勘違いをしているように思う。その勘違いからますます本当の豊かさから遠ざかってしまっているのではないだろうか。

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正確な時間を求めすぎてかえって時を失う

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昨日来た患者さん、この一週間はいろいろな問題が一段落して、有意義な週末を過ごせたと言っていた。特に休みの日は、一気にやりたいことが吹き出すようにしてしまったそうだ。そんな中で面白い話をしていた。

GPSの時の組み立てキットをつくり、その正確な時間を調べていたら、夜遅くまで時間がかかり、かえって時間をロスしてしまったという話だ。時を求めすぎた故に時を失ってしまった言って笑っていた。

考えて見れば、こうした矛盾は、至る所にあるのかもしれない。長生きを求めるが故にかえって税金や保険料があっがって生きること自体が苦しく楽しくなくなってしまったり、役所の書類の正確さを求めるが故にかえって手間ばかりかかり人件費がかかりいつまでたっても赤字が続いてしまうとか。悟りを求めれば、求めるほど悟りから遠ざかってしまうとか。神の名を唱えれば唱えるほど、戦争やテロが増えて社会が不安定になって不幸になってしまうとか。

だからすべては、ほどほどがいいのかもしれない。日本語には、昔からこのことを表した素晴らしい言葉がある。それは、「ちょうど良い塩梅」だ。「もったいない」「おもてなし」の次は、この言葉を世界に広めたらどうだろうか。

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複雑さの中に生き、単純さの中へ帰る

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たまたま昼休みにテレビを見ていたら、「やすらぎの郷」というドラマを放送していた。ちょうど3人の老人がつりをしながら、会話しているシーンだった。その中の一人が友人の臨死体験の話をしていた。なんでも友人が交通事故に遭い病院に運ばれたが、事故に遭った時は、全然痛みがなく白い天使のようなものの両手に抱えられてお花畑に降ろされたそうで、実に気持ちがよかったんだそうだ。それが病院に運ばれて、医師のご臨終ですと言う言葉を聞いて霊安室に運ばれた後に奥さんが来て、半狂乱で身体を揺すられたら、どこかの詰まりがとれて生き返ってしまった。その時は、身体中が痛くて死ぬほど辛い思いをした。」というような話だった。

死んでしまうよりも、この世に生き返ったほうが、死ぬほど辛いという言葉に思わず笑ってしまった。

今はまだ、出来るだけ死を遠ざけて、いつまでも生きる方が善だと信じられているが、果たしてそうなのだろうかと思う。

しかも、世の中、ますます複雑化して、今までのように小売店に行って、お店の人と馬鹿話をしながら買い物をすると言った時代も終わりそうな勢いだ。車でさえ自動運転でかってに運転してくれる時代が来ようとしている。

でもそれって本当に必要なんだろうか。人の代わりに機械がすべてこなしてしまう時代は、ますます人とのつながりが希薄になってしまう。

ここに来ているある患者さんも、休みの日にそよ風に吹かれながら汗をかいて草刈りをしている時が、何も考えず自然と一体になっているようで実に幸せだと言っている。

臨死体験する人が言っているように最後はお花畑だ。世の中ますます複雑化してゆくが、単純化することの中にこそ、本当の幸せがあるのではないだろうか。

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意識は体験している


「THE LAST KINGDOM」というドラマを昨日は、一気見してしまった。9世紀のイギリスの大河ドラマのようなものだが、NHKの大河ドラマと違って、屋外ロケが多く実際に自分がその時代に生きているようで、つい引き込まれてしまって、気がつけば一気に見終えていた。

この時代、イギリスはデーン人に侵略されていたということを初めて知った。たぶん世界史の教科書では習ったのだろうが、まったく文字面だけの知識ですり抜けていったので、バイキングのような彼らに侵略された歴史があったということは気がつかなかった。

いつもドラマを見ているだけで熱くなって、汗をかいてしまうのを不思議におもっていた。昨日もドラマを見終わった後には着替えるほども汗をかいていただが、それは、単にドラマを見ているだけでなく、その世界に没入し、主人公や登場人物をいっしょになって、体験しているからだと気がついた。

同じように夢を見ていてもそうだし、現実の生活の中でもそうだ。ただ単に昼間起きて活動している時だけでなく、映画やドラマを見ている時でさえ、意識は体験し身体は反応しているということになる。

良いとか悪いとか善悪の判断は別にして、意識は、肉体を通して体験するためにこの世に生を受けたと言えるのだと思う。

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