大いなる命
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どこかの新聞の投書欄に相場の下落に苦しむ人に記事が載っていた。「貯蓄から投資」へという政府が先導したかけ声にのって8年ほど前から、上場不動産投資(J REIT)というのを始めたという。それが、今になって破綻しはじめて、はじめてハイリスクの投資だったことに気づき、ギャンブルまがいの相場と投資先の動向におびえながら深刻な日々を送っているという。
同じように苦しむ人たちが世界中に蔓延していることと思う。この世をシーソーにたとえるなら、欲望に目がくらんだ人たちが、シーソーの端に向かってわれもわれも移動したために、ますます不安定な世の中となり、まさに今それが、ひっくりかえろうとしている。
大切なのは、欲望を減らしシーソーの真ん中をめざし、人生という長いようで短い人の一生の、その存在の本質を探し求めることだ。自分は誰か。その答えを探すためにこの世に生を受けたことを忘れて、子供のよに目先の快感に身を任せていては、いつまでたってもゴールに到達することができない。
本当の喜びは、自分たちの内側にすでに存在するということに気がつけば、今まで外に金や喜びを求めていた過ちにきがつくことができる。シーソーの真ん中にすわりしっかり大地に足をおろした、社会システムこそが求めれているのではないだろうか。
この世の現象が、すべて空象でじったいのないものだと気づけば、この難局も乗り切ることができる。真実のみが我々を救ってくれる。そんな当たり前のことに今こそ帰るべき時ではないだろうか。
それでもまだあなたは、遊園地のジェットコースターを楽しみたいですか。
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長野の鍋倉高原と群馬の榛名湖でのリトリートが終わった。どちらも青天に恵まれすばらしかった。今回は、スタッフ参加ということで、ちょとたいへんだった が、終わってみればすべてうまくいった。特に長野の方たちは、たいへんだったのではないかと思う。本当にお疲れ様でした。
長野から群馬の榛名湖まで、スワミジたちを車で案内して一泊した。榛名湖のゆうすげ荘は、榛名湖畔にあり、静かで、ほっとする施設だ。なんと いっても温泉があるのが、ありがたい、しかもコテージを使えば、経費を抑えることもできる。いつかぜひ、こちらでリトリートをと言いたいところだが、ス タッフのたいへんさを知っているので、こちらは、少人数のスワミジの休養をかねたお忍びの会として使っていただく方がいいようだ。
コテージのお風呂は、温泉がでるので、あまり人前で裸になる習慣のないスワミジにも安心して温泉を楽しんでいただけたと思う。「ほのぼの群馬」 は、人の心を和ませる場所だ。インドでは、5000人の人たちが集まるというスワミジと十数人という少人数で時を過ごすことができたのは、とてもありがた いことだった。
スワミジには、赤いダルマを、シャンタジには、黄色いフラダルマをプレゼントした。スワミジは前から、ダルマ大師にそっくりだと思っていたので、今回、それを手渡すことができてよかった。
榛名湖のリトリートに参加してくださった方たちにこの場をかりて感謝いたします。
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最近は、気功教室の中で太極拳も教えている。「青い海」の気功と比較してみると、横への移動が多いことに気づく。もちろん、太極拳は、武術なので常に相手 を想定した動きなので当然といえば当然なのだが。それはそれで、善い刺激になっていると思う。型を覚えるということは、それなりに新鮮でいいのかもしれな い。
人に対して表演してみせるといのも、踊りのようで楽しみがあるかもしれない。「青い海」の気功で内面に溶ける喜びを見つけた生徒さんたちが、今 度は太極拳で華のように咲き誇り、観ている人たちにその喜びを伝えることができれば、それはまた一段とすばらいしいことかもしれないと思っている。
また、太極拳の後に気功をするとその良さがまたよくわかる。
地球の中心から光りのボールをとりだして、天に帰すという動きがあるのだが、まさにこれは大地から天に向けての気の大循環だ。天地のエネルギーが
身体の中を駆け抜けて、浄化し解放して行くのがよくわかる。気高い気の柱が天地を貫くのだ。それは、身体の中心を開き、宇宙の中心も開いて行く。こうした
ダイナミックの気の循環が、日々の気功教室のなかで起きている。
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拈華微笑(ねんげみしょう)とは、あまり聞き慣れない言葉だが、インターネットで調べたらおおよそ以下のようなことであるらしい。
お釈迦様が、涅槃の時に聴衆の一人が睡蓮を捧げたところ、釈尊は黙ってそれを受け取り、拈って(ひね)って大衆に示したという。ほとんどの人がその意図をがわからなかったが、迦葉尊者だけがそれを理解して微笑んだという。これを拈華微笑(ねんげみしょう)というらしい。そこで釈尊は、「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり。不立文字、教外別伝にしてマカ迦葉に伝わる」といったという。つまり、仏が悟った深遠微妙の法門は、経綸、言辞によらず、ただちに以心伝心をもってまか迦葉に伝わったということらしい。
これが禅宗の起こったはじまりということらしい。そういう意味では、この言葉は非常に重要なようだ。以前にも書いたが、インドではこのことをディクシャというらしい。要するに伝授ということだ。イニシィエイションとかアチューメントとか、そのほかにもいろいろと言い方はあるだろう。だが、言葉にはよろず、その体験を直接、相手に伝えるということは、とても難しい。
今週も、前に気功の後にいっしょに瞑想した生徒さんと話をした。その後、熱を出して寝込んだということだが、おかげで心にしこっていたものがすっかり溶けてでたようで、普通に暮らしていても自然と笑みがこぼれてくるようだと語っていた。
気功や瞑想で感じている自分の内面にある喜びをどうやって、みんなに伝えようかと思っているが、こうして共に瞑想することで直接受け取ってくれる人もいると思うと、実にありがいのものだ。
ここでいう微笑みとは、内面からこぼれ出るような喜びのことではないだろうか。見事な蓮の華は、外にではなく、それぞれの内面に咲いている。
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こうした分類には、ほとんど意味がないということは、誰でも知っていることだと思うが、日本のマスコミで最近よく使われていたように思う。アメリカのマネ をして、こんな意味のない言葉まで輸入して悩んでいたとしたら、それも戦争に負けてから、心まで負けてしまっていたからか。歴史のある国なのだから、そん なコンプレックスをもつ必要もないと思うが。今回の恐慌前夜のアメリカの状態にぜひとも平家物語のこの言葉を贈りたいと思う。この言葉を授業中にアメリカ の子供たちに教えることは、株のもうけ方を教えるよりははるかに意義があることと思う。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ
この世は、たえず変化していてとどまるところがない。そうした中で、勝ち組とか負け組とかいう分類の仕方には、なんの意味もないと思う。強いて言え
ば、最終的には、すべての人が時間のながれに負けて、この世から姿を消して行く。だから、すべての人が、永遠に続く真実をつかまないかぎり、負け組なの
だ。
リーマン・ブラザーズの何かを買って一億円の損失を出した日本のどこかの社会福祉団体の話をニュースでしていた。もうけるつもりが、すべてパーになってしまった訳だ。なぜ、社会福祉団体までもが、そんな風にリスクのある投資をしなければならなかったのか。本来なら、そうしたもうけ話から一番遠いところの地味な仕事のはずだがすっかり最近の風潮に巻き込まれてしまったようだ。 アメリカ発の欲望が世界中を駆けめぐり、しかも、破綻しようとしている今、もう一度、自らの内面を見つめ、永遠に変化することのない、確かな平安と喜びを求めて、人生を立て直す必要に迫られている人たちが、たくさんいるのではないだろうか。 こうしたたいへんな時期に精神的に落ち込んでしまった人たちへの薬師堂のお勧めは、 第一に 恥も外聞もなく、偉大なる母に救いを求めよう! こうすれば、だいぶ精神的に落ち着きを取り戻すことができます。自分の内にある本来の喜びに気づくことが一番です。
第二に 毎日大きな声を出して、般若心経を唱えよう!
第三に 気功、太極拳を通して、なにものにも依存しない自律した精神状態を獲得しよう!
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