
「霊性の哲学」というアマチの本を、この間のダルシャンの時に買ってきた。その中に面白い言葉があるので、引用してみよう。
質問:アンマに会った人は、みなその愛を賞賛します。どうしてなのでしょう。
アンマ:アンマは、誰に対しても特別な愛を示したことはありません。愛は、あまに自然に起こります。アンマは人を嫌うことができません。ひとつの言語しかしりません。それは愛の言語です。愛はすべての人が理解するひとつの言語です。今日世界中で人々が経験している貧困は、無私の愛の不足です。
すべての人が愛について語り、お互いに愛してると言います。でもそれは本当の愛とは言えません。今日人々が愛と思っているのは、金メッキで覆われた安物の装飾品のように「自分勝手」という色で染まっています。見た目はちょっとよさそうに見えますが、質が悪く、長持ちしません。
病気になって入院することになったある少女が退院するときに父親に言いました。
「お父さん、ここの人たちは、とても親切でした。家族と同じくらい私を愛してくれたの。お医者さんや看護婦さんは私を世話してくれ、いつも私にどんな気分なのか訊き、必要な世話はすべてしてくれました。ベッドが用意され時間になると食事が出され、決して怒ったりはしない。お父さんとお母さんは、いつも怒っているけど、そんなことは全然なかった。」
その時一枚の紙が事務員から父親に手渡されました。少女がそれはなにかと尋ねると、お父さんが答えました。
「ここの人たちがどんなにお前を愛してくれたか言ってたよね。ほら、これがその愛の請求書だよ。」
子供たちよ、これが現代社会で見られる愛というものです。私たちが見る愛の背後には自己中心が隠れています。市場の商売の精神が個人の人間関係の中に入り込んでいます。誰かに会って最初に心に思い浮かぶことは、その人からなにを得られるか、です。もし、何も得られないと思うと、関係をもつのをしぶります。たとえ関係ができても、得られるものが減ってくると、すぐにその関係は消えてゆきます。現代人の心の中にいかにたくさんの自分勝手があるかわかりますか。その結果として、今人間性が、被害を受けているのです。
最近は、三人家族が一つ屋根の下に暮らしていても、それぞれが離島で生活しているよなものです。
世界は今、本当の平安と調和はなんであるか、もはやわからなくなるほど退廃しています。この状況を変えなければいけません。自己中心に代わって無私が栄えなければなりません。人々は関係という名で、お互いを安売りするのを止めるべきです。愛が束縛の鎖になってはいけません。愛は命の息吹であらねばなりません。これがアンマの願いです。
毎年、五月に来日してくれるアマチのダルシャンに通い続けてもう10年以上になる。インドの人たちのように気軽に質問できないのが、もどかしく思うこともあるが、こうしてアマチの言葉を聞くとやはりすばらしいと思う。
実際に自己の体験につきあわせても、愛には請求書がつきまとうという話は、痛いほどよくわかると言う人が多いのではないだろうか。最近は、「自分勝手」が服を着てあるいているような人が増えているように思う。
今日の朝の番組で、最近は、外科医が不足してきているというを特集していた。それに対して、手術の報酬をアメリカのように高くすればいいと言っていた人がいたが、それで本当に外科医の負担が軽くなって、外科医を志望する若者が増えるとは思えない。それよりも訴訟のリスクを軽減してあげて安心して、充分の休養をとって、働けるようにしてあげれば、外科医になりたい若者は増えるのではないだろうか。すべてが崩壊寸前の今の日本に必要なのは、アマチの言うよな無私の奉仕の心かもしれない。
最近のコメント