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2009年6月

肩周りの自由が、心と身体を軽くする

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最近集中的にすきのポーズとブリッジを行っている。脳の中心、間脳を刺激するのが狙いだが、肩の周りがとても楽になるという思いも寄らない効果があった。肩周りが楽になると、非常に身体が軽くなってくる。

  人間、労働や加齢で、疲れがたまってくると自然と肩が、前に出て猫背になってくる。そうした状態は、心臓を圧迫し、内臓の気血の運行が悪くなり、健康にも よくない。精神的もそうした姿勢では、落ち込んできてしまう。逆に落ち込んでいる時は、自然と肩が前にでて猫背になっているといえるだろう。

 従って、まずは姿勢から、治してゆけば自然と心の状態も明るく改善してくるといえるだろう。
心と身体に問題のある方は、ぜひ、一度お試しください。

詳しくは、薬師堂にお気軽にお尋ねください。

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マイケルジャクソン、まあいける、もういけない。

マイケルジャクソンは、稀代のスーパースターだ。存在そのものが輝いていた。自らの顔を舞台装置のように作り替えた。彼が、ステージに登場するだけで、観客は魅了され熱狂した。

 がしかし、歳月を経るにしたがい、彼の顔はもの悲しそうになって行く。はじめは輝くマイケルジャクソンが、マアイケルジャクソンになり、マダイケルジャクソン、何かにマケルジャクソン、最後は、モウイケナイジャクソンとなってこの世を去った。

 彼のすべてが、外面に吸い出されてしまってからぽになってしまったように、この世を去った。

 結局、人の幸せは、外見にはなく内面にある。そんな単純な事実を彼の生涯が教えてくれているのかもしれない。本当の幸せを得ようと思ったら、外見を整形するのではなく、内面を磨いた方がいいようだ。

 マイケルジャクソンのご冥福を祈ります。

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友達

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 久しぶりに知り合いのヨガの先生にメールをだした。先週、まだはじめて間もない気功の生徒さんが突然やめってしまったことを伝えた。ヨガの生徒さんの場合もよくあるという返事がきた。「来る者は拒まず、去る者は追わず」ですとあったので、「私も同じ心境です。でも、気功の喜びを知らずに止めてしまったのは残念です。」と返信した。すると「自分の中で誰かとの関わりを決着つけるような考え方は、もったいないです。断定すると心はクローズすると思います。オープンハートならたまた縁がつながるかもしれません。」という返事をいただいた。

 思いもよらない返事だったので、少し驚いたが、もっともだと思った。その瞬間、ありがたい友達をもっているとうれしくなった。

 それというのも、最近、どうもなかなか理解し合える人はすくないのではないかと思っていたからだ。

 アマチの言葉にもこんなのがあった。
私たちが見る愛の背後には自己中心が隠れています市場の商売の精神が個人の人間関係の中に入り込んでいます誰かに会って最初に心に思い浮かぶことは、その人からなにを得られるか、です。もし、何も得られないと思うと、関係をもつのをしぶります。たとえ関係ができても、得られるものが減ってくると、すぐにその関係は消えてゆきます。現代人の心の中にいかにたくさんの自分勝手があるかわかりますか。その結果として、今人間性が、被害を受けているのです。」

 友達だと思っていても、その関係のなかに「商売」が入っているのではないかと思うようなことが、実際のところけっこう多い。あるいは、自分の思いこみを押しつけてきて、それに同意できなければ友達ではないという人もまた多い。

 だから、相手を尊重しつつも、こうして自分の否定的な面に気づかせてくる友は、本当にありがたい。謙虚さが、人間、やはり大切だなと思う。もちろん、自分も生徒さんから、元気ももらい、教えていただくことも多いが、改めてそのことを振り返るいい機会になりました。

 こうしてブログを読んでくれている読者の皆さんにも感謝いたします。

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天馬

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 天かける白馬、こんな絵のようにいつも自由自在に天を駆けていたいものです。心に翼とすべてを捨てる勇気があれば、きっとだれでも天を駆けることができるのでしょう。自分が肉体だという思いこみからの解放が、我々に自由と喜びをもたらします。不安や恐怖は、すべて捨て去って、天を目指しましょう。

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魔法のチョーク

 安部公房の小説に「魔法のチョーク」というのがあった。そのチョークで描くと描かれたものが、現実化するというのだ。もし、無人島に持っていくとしたら、これが最高だろう。

 無人島に思い通りの世界を創り出すことができる。もっとも、この小説の主人公のアルゴン君は、まず美女を創り出してしまった。その美女の我がままのために、すっかりアルゴン君の世界は破壊されてしまったのだ。そして、最後は壁に吸収されてしまった。

 というわけで、くれぐれもはじめに美女を創り出すのだけは、やめておいた方がいいようです。

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人は人を幸せにはできないが、幸せであることはできる

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 今週の気功教室である生徒さんが、旦那さんといかに馬が合わないかということを話していた。本人は冷房がきらいだが、旦那さんは、冷房をガンガン効かせないと眠れないとか旦那さんは肉ばかり食べるが、生徒さんは脂っこい者が苦手で、要するにすべてが正反対だということだ。ちょうどその隣の生徒さんも同じようなことをいつもこぼしているので、お互い慰め合う友達ができたようでほっとしていたのではないだろうか。

 「幸せだな。僕は君といる時が一番幸せなんだ、死ぬまで君を離さないぞ。」なんて歌がありますが、どうやら幸せな時は短く、幸せなのは本人だけで相手は辛いだけの時期のが長いのかもしれませんね。結婚する時に、「君を幸せにします」なんて言ったとしてもそれは、無理な話です。幸せとは、「する」ものではなく「幸せである」という状態だからです。

 気功で入静状態に入った時は、間脳から快感物質がでて、全てを忘れて実に幸せな状態になります。喜びそのものに包まれた状態です。結局、人は、人を幸せにすることもされることもできません。ただ、いつでも幸せであることはできるのです。しかも、その幸せは、外部のものに依存していないので失われることもないのです。

 そんな幸せの喜びを薬師堂で見つけてみてはいかがですか。

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青い鳥はすぐそこに、勇気をもってつかむだけ

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 幸せの「青い鳥」はすぐそこにいる。ただ、勇気をもって掴むだけなのだが、その勇気のある人はすくない。みな誰しも、一見安全そうな日常の中に逃げたがる。固定観念、既成概念のなかに居座ろうとする。

 しかし、そろそろ時代の変わり目だ、勇気をもって、みんなで幸せの青い鳥を掴もう。そこには、もしかすると友愛の世界がまっているかもしれないのだから。

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気功ヨガ教室の後で

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 気功教室の後で生徒さんたちとお茶を飲んだ。普段、聞けない気功に対する質問等、正直な感想を聞けるので、時々こうした場は必要だ。長く通っている人たちは、だいぶ自分の世界に深く入っているようだが、ひとりひとり聞いてみるとそれぞれ深さには、違いがあることがよくわかる。

 ある生徒さんは、イメージ通りの世界に意識が遊び、本当に気持ちがいいという。また、ある生徒さんは、なかなかイメージが浮かんでこなくて、これでいいのかと疑問を感じているという。人それぞれ、入り方は違うが、必ずしもイメージ通りである必要はありませんと告げる。要は、自分が肉体であるという思いこみが溶けて、心が体から解放されてゆくことが大切なのです。

 その他には、最近、気功教室に通いはじめた人で、気功の後、体がだるくなるという生徒さんの話を聞いた。前回からは、だいぶすっきりするようになったという。今まで、たまっていたコリや疲れがほどけて溶けてくるとそうしただるさが、でることがあるんですよと説明した。

 「青い海」の気功とヨガと太極拳の組み合わせでそれぞれの人に楽しめるように工夫しているが、人それぞれ、その人の状態によってでてくる反応は様々だ。しかし、しだいに気功の気持ちよさにとけてゆくことができるようになる。

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喜びそのものになること

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 いろいろな趣味があって、楽しみも人それぞれだろうが、最近はまっているのは、「喜びそのものになること」だ。たいたいのものは、外になる対象物を手に入れたり、行じているうちに楽しくなるのだろうが、そうしたものは、実は一時的でやがては失われてしまう。

 それに対して、自分の内にある喜びは、外のものに依存していないので、失われることがない。間脳に意識を集め、ヨガなどで刺激をいれることに最近ははまっている。ここを刺激すると快感物質がでるので、気持ちがよくなり脳がリフレッシュされる。しかも覚醒のポイントでもある。

 未だに観自在とはいかないが、ここが健康のツボであることは確かなことだ。今日も気功の生徒さんと真の喜びに満ちてゆきたいと思う。このツボさえわかれば、うつやパニック障害といった不安や心の問題からも解放されてゆくと思う。

 興味のある方は、薬師堂にご連絡ください。

 



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智慧の眼を開く

このビデオを見ていたら、一瞬お香の匂いがした。慧眼、智慧の眼が刺激されたからだろうか。脳の中心、間脳にあるアジナチャクラを開くイメージが、とてもわかりやすく表現されている。

 最近は、毎日、ヨガでここに刺激をいれているが、まさにうってつけのビデオに出会った。そういえば、観音様の眉間にもちゃんと宝石が埋め込まれている。観自在とは、この慧眼が開いて、自由自在に物事を観ずることができる状態のことをいうのだろう。

 喜びと智慧と健康をもたらしてくれる、この智慧の眼をぜひ完全に開きたいものです。

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ひかりなでしこ

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 「ひかりなでしこ」という花火を作っている患者さんがいる。皇室に献上したり、海外ブランドで購入したりと小さな花火工場だが、けっこう認知度は高いようだ。

 線香花火だが、可憐な火花が日本的で人気があるようだ。この花火を考案した患者さんは、面白い人で、神様とも縁があるようだ。この花火も神様からの霊感で作ったようだ。

 この間の長野のホーマーでも火を焚いたが、神と火も関係があるのかもしれない。工場内を案内してもらったら、たくさんの木や草花が植えられていた。「ひかりなでしこ」と癒しの里ができればいいのにと思った。

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梅雨をすっきりと乗り切るには

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夕べは、梅雨のせいか変な夢を見た。どうも空気が重い。
今朝は、太極拳を行じ、ヨガを行い瞑想をした。すっかり軽くなった体に新鮮なエネルギーがわき上がる。それは、至福とも言える喜びだ。スポーツで味わう爽快感よりも深く味わい深い。本来ある喜びそのものに帰るといった感覚だ。

 梅雨をすっきりと乗り切るには、太極拳、ヨガ、瞑想の気の流れが勧めだ。間脳をうまく刺激しているので、脳がすっきりすのだろう。

 興味のある方は、薬師堂に気軽にご連絡ください。


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恋は恋酷、愛は哀愁

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 恋も一般的な愛も花と同じでいつか終わる。恋は、恋酷で、終わったあとに酷く落ち込む。愛は、終わると愛終が漂う。

 まあ、これはシャレですが、永遠に続く愛というのには、なかなか出会うことはないようです。

 上江洲先生の言葉にこんなのがありました。

愛を得ようとする者は、愛を失い。

愛を放つものは、愛を得る。

命を得ようとする者は、命を失い、

命を放つ者は、命を得る。

 いずれにしても執着から解放されることが大切なようです。

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山本一太

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 山本一太は、高校の同窓生だが、小泉の太鼓持ちのよなことをやっているのが、残念だった。大学も同じで一年下に入ったようだったが、同じクラスになったことがなかったので、ほとんど話すこともなかった。

 最近、なにかと話題になっているようだが、どうせなら鳩山さんについていって欲しいものだ。彼は、地元群馬でそだったのだから、もっと地方の人を大切にしてほしいものだ。

 地方や国民の側について、けっしてアメリカや大企業のいいなりになる政治をしないよう応援したいものだ。

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都会には、スペースと時間がない

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 10年ぐらい東京で暮らしたが、都会にいる時は、太極拳を練習するにも、良い場所も時間もなかった。そこで眺めのいい水沢で、太極拳の練習がしたくて、帰ってきたようなものだ。東京まで、2時間ぐらいかかるので、なにかを勉強に行くには、正直不便だが、何かをじっくりと練り上げるには、田舎の方がいい。

 最近では、年に一、二度しか東京にも行かなくなった。身近な自然の変化を写真に撮り、こうしてブログを書くだけで満足している。

 夕べも太極拳の友人と一杯飲みながら話し、今朝は、彼から太極拳を教わった。田舎では、自分のうちの庭で太極拳を練習することができる。都会では、とても考えられないことだ。

 その後は、カナダ出身で日本人と結婚して群馬に住んでいる友人を治療し、二人で自然食を出してくれている喫茶店で食事をした。そこは、自分のうちの庭で古代米をつくったりハーブや野菜もつくっている。

 ゆったりとした時間とスペース、そして温泉のあるこの街へ来て、薬師堂で治療を受けてみてはいかがですかお気軽にご連絡ください



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移植法改正の問題

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 臓器移植の問題は、その当事者にとっては深刻な問題だと思う。でも考えてみれば、移植や延命の医療技術がなかった時代には、こうした問題は存在しなかった。みな「さるべきにやあらん」と言って諦めて死を自然に受け入れていた。

鴨長明も言っているように「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と、すみかとまたかくのごとし。

 要は、移植をしてもしなくても、いずれ生命は流れ去り、死を迎え消えてゆく。医療がどんんなに進んでも、死を延期することはできても死からのがれることはできない。ならば、いっそ今ここ、この時において、生死を明らかにして、死の恐怖から解放されて、自由になった方がいいのではないだろうか。

 治療にくるリンゴ農家の患者さんは、今はピンポン球ぐらいにふくらんだリンゴの実を間引くので忙しいという。その前には、花をつむ作業があったという。なぜ、そうしなければならないのかといえば、もし、そのまま放置したらリンゴができすぎて、リンゴの木そのものが折れてだめになってしまうからという。

 今の日本の社会をみていると、まさにできすぎたリンゴだ。若者は減り、老人が増え、社会が崩壊の危機に瀕している。正しい生命観のない医療というのは、かえって社会にとってよくないということだろう。個々の花や実を救うことに汲々として、木そのものを破壊しようとしている。

 生命を肉体と考えずに水のように流れるエネルギーの流れだと考えれば、個人も社会もだいぶ楽になるのではないだろうか。滅せず生ぜずの永遠の命こそ私たちの本来の姿だと思えば、この世や肉体に固執して、自分で自分の首をしめるような生き方はしなくてもすむ。流れる水も命も腐ることはない。

 「知らず、生まれ死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争うさま、いわば朝顔の露に異ならず。あるいは、露落ちて花残れり。残るといえども朝日に枯れぬ。あるいは、花しぼみて露は消えず。消えずといえども夕を待つこと無し。」

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バナナ派、でも基本は玄米

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 朝バナナを始めてからすっかり、体重の管理が楽になった。だいたい思い通りの体重で安定している。バナナがこれほど効果があるとは、意外だったが、お昼に玄米を食べることも大切だと思う。

 朝は、バナナの後、軽く一杯ご飯を食べることが多い。この時は、白米だが、食生活は、あまりきつくこだわらない方が、意識の偏りが生まれなくて良いと思う。だから、夕飯もわりと自由に食べている。あまり肉類は、とらないようにしているが、厳格な菜食というわけではない。なにごとも自然が一番だ。



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覚醒のポイント間脳

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コネタマのお題にちょうどいい落書きがありました。間脳は、脳と体をリラックスしてくれるだけでなく、意識を覚醒してくれる、すばらしいツボです。

 ちなみに第三の眼に坐っているのは、ブルーブッダ。チベット仏教では、薬師如来を青く描いています。薬師堂なのでブルーブッダを描きました。

 みなさんも薬師堂で、体と心の安定をもたらす、間脳の刺激法を学んでみては、いかがですか。

コネタマ参加中: 【落書き】黒目とまゆ毛、口を描くといろんな表情に!

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脳活は、就活、婚活、離活にまさる

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 最近は、就活、婚活、離活といろいろな活動が報道されているが、なんと言っても、「脳活」が一番大切だ。NHKスペシャルで植物状態から回復した女性のことを特集していたが、脊髄に電極を埋めて間脳刺激することによって、脳全体を活性化することで回復しつつあると言っていた。

 そうかやっぱりそうだったのかと溜飲が下がる思いだ。以前から気功やヨガを教えるときに間脳をしげきすることで、自律神経やホルモンの調整を行うが大切ですと強調してきた。ヨガをおしえる時も間脳へ刺激をいれることを中心に組み立ててきた。そこを刺激すると非常に気持ちがよくなって、深くリラックスできるよになってくるのだが、しかもそれは脳を活性化するためのツボだったのだ。

 単に植物状態からの覚醒だけでなく、精神的な意味においても覚醒するためのツボであるよな気がする。意識的に目覚めるためには、ここを集中的に刺激して活性化してゆけばいいように思う。まさに悟りのツボとも言えるかも知れない。

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ゲップに税金

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 ニュージランドで牛や羊の体から排出されるガスに課税しようとしたそうだ。環境破壊、地球破壊の最大の原因は、人類が増えすぎたことにある。それでもなお医療を充実させ、長生きすることばかりが正しいこととされている。人口が少なく、長生きするする人が少ない時代には、長寿は珍しいことであり、大切にされた。しかし、現代のように平均寿命が延びて、だれもが長生きできる時代になるとかえって国の負担が増え、若者のやる気をそぎ、少子化を加速し、社会全体が崩壊の危機を迎えつつある。

 目に見えるものだけが、存在しているという間違った稚拙な考えを改め、我々の本質が、永遠不滅の純粋意識であるということに気がつかないと、この先、人類はますます自由を奪われ、生きている喜びも失いそうである。

 せめて、ゲップやおならぐらい安心してできる社会であってほしいものだ。

 

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喜捨、喜楽。

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 長野で聖者に会って気がついたのは、問題は自分自身にあるということだ。人間、どうしてもだれかに依存したくなってしまう。だれかに引き上げて欲しいと思ってしまう。しかし、そうした欲をすてた時こそ、欲望から解放されて自由になってゆくのだと。

 喜捨、喜んで自分というものを捨て去ってしまえば、うれしく、楽しくなって楽になる。そのために神仏にお布施するのだろう。神仏は、お金なんてほしがっていない、我々が欲望を手放して、楽になるのを望んでいるのだ。

 大事にじっと握りしめている自分のエゴを思い切り、解き放つことが修行の第一歩であり、最後の一歩でもあるのだろう。

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一瞬で自分を幸せにする超脳力

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 この仕事をしていると超能力があるという人に出会うのは、そう珍しいことではない。この間も長野にインドから女性の聖者がくるというので、会いに行ってきた。ドゥルガという女神が彼女にやどり、予知や予言、病気治しなどができるという。

彼女にアドヴァイスされたのだが、今考えると確かに当たっている。神様はすべてお見通しということか。元々は、今回世話役をしてくれたインド人の男性が子供ができなくて、みてもらって子供ができたということから、信じ始めたということだ。そして、奥さんの病気も治してもらったという。そして、日本人で今回世話役をしてくれた人の知り合いが、やはり危篤状態から回復したらしい。それが、切っ掛けで今回日本にお呼びすることになったという。

 日本人の覚者の人の話も聞いているとすごいが、彼のエネルギーを感じているとまんざら妄想ではないよに思う。直接そうしたことを体験しないかぎり、否定も肯定もしないが、この世そのものが幻想と思えば、何があってもおかしくないのかもしれない。

 一番大切なのは、そうした能力があるから幸せであるとは限らないということだろう。気功を教えているなかには、人の心が読めるようになってしまったと言う人もいたが、かえって気持ち悪がってこなくなってしまった。それよりも、脳の中心、アジナチャクラというところに意識の焦点を合わせた時に、一瞬のうちに深い喜びを味わうことができるということのが幸せと言えるだろう。これこそすべての人に伝えたい超脳力だ。

コネタマ参加中: もしも超能力が使えたら、何をしてみたい?

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文章を書くこと自体が楽しい

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 ブログをやって楽しいのは、こうして自分が撮った写真を載せることや、文章をかくことだ。

 以前は、こうして自分の考えを発表する場がなかったのだから、ブログによって大勢の人に自分の考えを知ってもらえることは、とてもありがたい。

 アクセス解析で読者数が増えてゆくのを確認するのも楽しい。

これからもたくさんの人たちに喜んでもらえるようブログを書いてゆきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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愛の甘露

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「愛蜜」今日は、気功を教えていて、こんな言葉が浮かんできた。インターネットで調べたところこの言葉自体には、変な意味があるようだが、そういう意味ではなく、悟りを開いて喜びの境地に達した人からは、蜂蜜のように甘いエネルギーが出ているのではないかと思い、この言葉が浮かんできた。

 実際にアマチのそばへゆくとなんともいえない甘い香りがする。おみやげに買ってきたものからも、しばらくはその甘い香りがただよっている。自分の本質を永遠に咲き誇る華であることを体現した人からは、蜂蜜のように甘い蜜が枯れない泉のようにわきでていて、まわりの人たちを癒している。だからこそたくさんの人たちが、蜜に群がるアリのように聖者に引き寄せられてゆくのだろう。

 華のように咲く喜びと蜂蜜のように甘い香り、自らの内に開いた華は、永遠に枯れることのない甘露を周りの人にも与えてくれる。

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あなたは喜びの華

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 あなたは、永遠に咲き続ける喜びの華。
無明とか空とかいろいろと言うけれども、本質において人は、喜びそのものであるということをお釈迦さまも観音さまも言いたかったのではないだろうか。

 「青い海」の気功教室の後は、自然と喜びのなかに引き込まれる。生徒さんも今日は、赤い光が見えたと言っていた。もちろん喜びを体験していた者と思う。人が喜びそのものであることを伝えるためにこうして気功を教えているのだと思う。

 これは体験してみなければ、わからない。

あなたは永遠に咲き続ける喜びの華である これが、薬師堂からのメッセージです。

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川の流れのように

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 昨日は、風の川について書いたが、アンマの文章のなかに川と言う言葉を見つけてので再び引用してみよう。

質問:若い頃アンマは、多くの苦難に遭わなければなりませんでした。それについて何かおっしゃりたいことがありますか。

アンマ:アンマにとって重要なこととは思えませんでした。この世の本質がわかっていましたから。ー中略ー

 不平や悲しみは、自分が肉体そのものだと思う時に起こります真の自己の世界では悲しみはありません。アンマが真の自己について熟考した時、アンマは流れのない池ではなく自由に流れる川であるということが明確になりました。

 健康な人も病気の人もたくさんの人が川に来ます。水を飲む者、体を洗う者、洗濯する者、つばをはく者さえいます。川にとっては、どのように扱われようが重要ではありませんん。ただ、流れるだけです。川の水が礼拝に使われようが、入浴に使われようが、決して文句を言いません。川はただ流れ、中に入ると世話し、清浄にします。しかし、池の水は、流れず、清潔ではありませんし、においを避けられません。

 このことを悟ると、苦難も、受けた愛も、一切影響がなくなりました。なにひとつ重要とは見えませんでした。悲しみは、「私という存在はこの肉体である」と思う時に起こります。真の自己の世界には、悲しみはありません。だれもアンマとは別々ではありませんでした。彼らはこの木に泥を投げましたが、アンマにとってそれは肥料に代わりました。すべてのことは、究極的に役立つためにありました。

 美空ひばりの歌ではないが、自分を川の流れと思い流れ去ってゆけば、なんの問題もないようだ。池のように小さな肉体を自分だと思った時に、悲しみや苦しみにみまわれてしまう。つまり、自分はエネルギーの流れと意識すれば、実に自由で解放されてゆく。

 肉体に固執することが、あらゆる困難の元にあるようだ。しばらく前までは、日本は平均寿命が世界一だとよろこんでいたが、今ではそれが重荷になって、国の将来が見えにくくなってしまった。ただ、肉体を一日でも長く生かそうとすることが、人々の精神を重くしている。永遠に流れ続ける川のようだと思いを変えれば、すいぶん楽に生きることができるようになるのではないだろうか。「青い海」の気功のように川のように海のようにゆったりとした意識の世界に自分を解き放つことが大切だ。

この文章は、最近でた「霊性の哲学」という本に収められています。以下に上げたamazonの本とは、別です。この本が欲しい方は、直接、http://cart02.lolipop.jp/LA02181118/ にお問い合わせください。

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アマチの愛

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 「霊性の哲学」というアマチの本を、この間のダルシャンの時に買ってきた。その中に面白い言葉があるので、引用してみよう。

質問:アンマに会った人は、みなその愛を賞賛します。どうしてなのでしょう。

アンマ:アンマは、誰に対しても特別な愛を示したことはありません。愛は、あまに自然に起こります。アンマは人を嫌うことができません。ひとつの言語しかしりません。それは愛の言語です。愛はすべての人が理解するひとつの言語です。今日世界中で人々が経験している貧困は、無私の愛の不足です。

 すべての人が愛について語り、お互いに愛してると言います。でもそれは本当の愛とは言えません今日人々が愛と思っているのは、金メッキで覆われた安物の装飾品のように「自分勝手」という色で染まっています見た目はちょっとよさそうに見えますが、質が悪く、長持ちしません。

 病気になって入院することになったある少女が退院するときに父親に言いました。
「お父さん、ここの人たちは、とても親切でした。家族と同じくらい私を愛してくれたの。お医者さんや看護婦さんは私を世話してくれ、いつも私にどんな気分なのか訊き、必要な世話はすべてしてくれました。ベッドが用意され時間になると食事が出され、決して怒ったりはしない。お父さんとお母さんは、いつも怒っているけど、そんなことは全然なかった。」

 その時一枚の紙が事務員から父親に手渡されました。少女がそれはなにかと尋ねると、お父さんが答えました。
「ここの人たちがどんなにお前を愛してくれたか言ってたよね。ほら、これがその愛の請求書だよ。

 子供たちよ、これが現代社会で見られる愛というものです。私たちが見る愛の背後には自己中心が隠れています市場の商売の精神が個人の人間関係の中に入り込んでいます誰かに会って最初に心に思い浮かぶことは、その人からなにを得られるか、です。もし、何も得られないと思うと、関係をもつのをしぶります。たとえ関係ができても、得られるものが減ってくると、すぐにその関係は消えてゆきます。現代人の心の中にいかにたくさんの自分勝手があるかわかりますか。その結果として、今人間性が、被害を受けているのです

 最近は、三人家族が一つ屋根の下に暮らしていても、それぞれが離島で生活しているよなものです。
 世界は今、本当の平安と調和はなんであるか、もはやわからなくなるほど退廃しています。この状況を変えなければいけません。自己中心に代わって無私が栄えなければなりません。人々は関係という名で、お互いを安売りするのを止めるべきです。愛が束縛の鎖になってはいけません。愛は命の息吹であらねばなりません。これがアンマの願いです。

 毎年、五月に来日してくれるアマチのダルシャンに通い続けてもう10年以上になる。インドの人たちのように気軽に質問できないのが、もどかしく思うこともあるが、こうしてアマチの言葉を聞くとやはりすばらしいと思う。
 実際に自己の体験につきあわせても、愛には請求書がつきまとうという話は、痛いほどよくわかると言う人が多いのではないだろうか。最近は、「自分勝手」が服を着てあるいているような人が増えているように思う。

 今日の朝の番組で、最近は、外科医が不足してきているというを特集していた。それに対して、手術の報酬をアメリカのように高くすればいいと言っていた人がいたが、それで本当に外科医の負担が軽くなって、外科医を志望する若者が増えるとは思えない。それよりも訴訟のリスクを軽減してあげて安心して、充分の休養をとって、働けるようにしてあげれば、外科医になりたい若者は増えるのではないだろうか。すべてが崩壊寸前の今の日本に必要なのは、アマチの言うよな無私の奉仕の心かもしれない。

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プリズンブレイク ファイナルシーズン

 プリズンブレイクのファイナルシーズンを見た。まだ全部見終わってないが、やはり面白い。ずんずんドラマに引き込まれてゆく。スピード感があり、リアリティーがある。役者そのものに存在感がある。日本のドラマのようにアイドルが主役でお笑いや歌手やオアバカキャラのお姉ちゃんがでてきたりしないところがいい。視聴率目当て話題性をつくるためのそうした配役は、ドラマそのものをつまらなくしてしまっているように思う。

 知り合いの舞台俳優が、そのドラマにでるというので、見ていたが、台詞なしで、物語の冒頭で殺されてしまったようで、ほとんどドラマで見ることはできなかった。もっとリアリティーのある役者、ドラマ作りを大切にしたら、日本ドラマも海外で見てもらえるようになるのではないだろうか。なぜなら、彼らはドラマそのものを見るのであって、アイドルであるとかお笑いで有名であるとか歌手であるとか、日本で話題になるようなこととは一切関係ないのだから。

 ドラマとは、所詮作り物だが、それにいかにリアリティを与えるかが、役者と制作者の勝負どころと言えるだろう。

 

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風の川

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 鳥のさえずり、木々と下草を流れる風の音、一瞬、風の川ができ、その流れに意識をまかせる、まだまだすずやかな風が 心と身体を洗い清めてくれる。

 朝、水沢の成人の森に行ってみた。下草が伸びてすっかり、緑も深まってきたが、まだまだ、みずみずしく森を渡る風も心地良い。

 都会にいるとこんな当たり前もことも感じられなくなってしまうのではないだろうか。自然のなかに身を置き自然な心と身体を取り戻す。なにも遠い外国に行かなければ、そうした安らぎが得られないわけではない。今すぐ、すぐそこにじっと我々の意識が向かうのを待っている。

 薬師堂は、身近な自然のなかに喜びと驚きがあることをあなたに伝えます。そして、あなた自身のなかにも喜びと健康の泉があることを。

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ターミネーター

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 友達とうちでターミネイターのビデオを見ながら酒を飲んだ。最近は、景気も悪いので、うちでテレビを見ながら飲む機会が多い。その方がのんびりできるし、そのまま眠ることができるので、世話がない。

 見ていたのは、テレビドラマのターミネイターだ。その中に懐かしのアイボがでていた。日本人は、ロボットに親近感を覚えるが、アメリカ人は恐怖を感じるのだろうか。鉄腕アトムが、アメリカで映画化されるようだが、どんなアトムになるのか楽しみだ。

 酒の肴は、ポテトチップとカキピーが定番だ。ついでに借りてきたビデオを見ながら飲めば、実に安上がりに友達と時を過ごすことができる。

 翌朝は、友達から太極拳を習うのが定番だ。安くて健康的な酒である。

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無明

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 般若心経を読み進めてみよう。

無無明、亦無明尽。乃至無老死、亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。

「空」の世界においては、無明ということも無明がなくなるということもないという。現実の世界には無明がある。無明とは何かというとwikipediaでこのように説明されていたあまりに見事なので以下引用してみよう。

無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう。法性(ほっしょう)に対する言葉である。

仏教では十二因縁の根源に無明をおく。すべてのは、無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し、智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く。というものが存在するという見解(我見)が無明である。無常であるものを常住と見るが、それが失われると苦しみを生じる。すべての苦しみはこの無明を原因として発生すると説く。この苦しみを消滅する方法は、初期経典には定型文句として四諦八正道であると説かれている。この四諦、八正道を知らないことも無明である。

たとえば、闇(やみ)について、多くの人は「闇は存在する」と漠然と考えている。しかし、闇に光が当たると、闇はたちまち消えうせる。闇がどこか別 のところに移動したわけではない。つまり、闇は始めから存在しなかったということである。闇は「光の欠如」ということであって、闇と呼ばれる「なにか」が 存在するわけではない。 精神的な「苦しみ」についても、同じようにとらえることができる。智慧の光によって、苦しみはたちまち姿を消す。苦しみが、何か実体を伴って存在している わけではない。 実際には無いものを有ると考えるのは無明である。

 最後の闇の説明は、なるほどと納得させられる。「実際には、無いものを有る」と考えるのが、「無明」であるという説明は実にわかりやすい。我というものが存在するという見解が無明であるという。すべては、一つと考えれば、我というものは、存在しない。「青い海」の気功でしだいに青い海に意識がとけてゆく時、しだいに私という想いも消えて流れ去ってゆく。そして、私と供に、その悲しみ、苦しみも溶けて消えて行く。後には、ただ自由にゆったりと海のようにたゆたう純粋な意識があるだけだ。

 私という意識が消えた世界では、無明がなくなるということも、それが尽きるということもなく。老いて死ぬということもそれが尽きるといこともなく。人生は苦しみだということもなく、その苦の原因の執着で苦しむこともなく、執着がないので悟るということもなく、その方法である仏道をすでに必要としていない。すでに智慧の光で照らす必要もない。

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セーラーマーズ、ふとそんな言葉が頭に浮かんだ

 特別好きな惑星もないが、「セーラーマーズ」ふとこんな言葉が頭に浮かんだ。子供がちいさい時は、いつもいっしょに見ていたものだ。最近は、放映しているのだろうか。

 以外と惑星の外国語の名前は覚えていないものだ。ちなみにHPで調べてみると
水星:メルクリウス(mercurius)商業・旅人の神
金星:ヴェヌス(venus)愛・美・豊饒の女神
火星:マルス(mars)戦いの神
木星:ユピテル(jupiter)全能の神
土星:サトゥルヌス(Saturnus)天空の神(農耕の神)
天王星:ウラノス(ouranos)天空の神(巨人族の父)
海王星:ネプトゥヌス(neptunus)海・泉の神
冥王星:プルト(pluto)冥府の神

 とどこかに書いてあった。そういえば、ウラノスというのもセーラームーンにでてきたような。ネプチューンというお笑いのコンビもいたが、海王星だったか。jupiterは、木星、venusは金星、saturnの土星は、なんとなく覚えている。mercuryは、水星か。そういえば、そういううホテルが前橋にありました。

 これで、惑星と英語の名前が一致したようです。うろ覚えでは、いけませんね。

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実感として捉える般若心経

 気功教室でヨガの最後に正座した状態で身体を前に倒し、頭頂部を床に着けて腰をあげてうなじを伸ばす。うなじ伸ばすことで、脳を延髄からひっぱるような形となり、間脳が刺激されて、その後正座すると実に気持ちがいい状態となる。ヨガを取り入れているのは、脳脊髄を伸展して最後にこの間脳に刺激をいれるてめだ。自律神経とホルモンの中枢である間脳の活性化は、脳内快感物質の分泌を促し、とても気持ちの状態になるだけでなく、自律神経のとホルモンの調整によって、全身の健康がもたらされる。

 しばらくそのまま目を閉じて、かるく瞑想してもらった後に、生徒さんに感想を聞いてみると、大概の人はたいへん気持ちがいいと答えてくれる。なかに「周りの音がまったく聞こえなかった」というほど深く入って生徒さんがいた。

 般若心経で、是虚空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界とあるが、これは深い瞑想状態に入った時には、思考とそれを認識する働きが停止し、感覚が遮断され、色も音も香りも触覚のなくなるということを表している。

 無色無受想行識は、五うんのことで色は、物質、肉体に受は感受作用、想は、想念、行は、意思、識は、認識に対応している。眼耳鼻舌身意は、六根と言って感覚器官を、色声香味触法は六境といって、それに対応した感覚の対象を、無眼界乃至無意識界は、六式といって、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識とそれぞれに対応した知覚作用を表している。

 要するに「空」の状態とは、脳の中心部に血液と意識が集まった状態で、思考や知覚作用が停止し、外界から切り離された状態といえる。また、その状態は、脳から快感物質が放出されとても気持ちが良い状態でもある。

 本来の自分自身が、こうした気持ちの良い状態であるということを般若心経は説いていると説明するととてもわかりやすく。入りやすいと思う。この説明の後にある生徒さんに感想をきたら、私も覚えてみようと思うと言ってくれた。言っていることをわかって受け入れていることがわかってうれしかった。

 また、ある生徒さんは、最近、仲の良かった妹さんを亡くしてショックを受けていたのだが、墓石に「空」という文字が書いてある意味がわかったと喜んでくれた。また、気功教室に通うようになって、ぐっすり朝まで眠れるようになったという。

 般若心経は、昔から日本人になじみ深いお経だが、「空」ということも実は、身近で役に立つ世界なのです。薬師堂では、気功やヨガを通してそれを簡単に実感することができます。すべての人が、自分の思いこみの世界から解放されて自由で気持ちの良い世界を体感することを願います。

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患者さんの感想です。

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良いです。
薬師堂の先生には、大変お世話になっています。
5月、サロマ湖100キロマラソンにくけて練習してたところ、GWに突入したとたん、練習をしたんだけど足が痛くて、走れませんでした。そこで薬師堂にいき、徐々に治療してもらったところ少しづつ走れるようになり、6月に行われたサロマ湖100キロマラソンは無事完走できました。少し練習が多くなると走れなくなるので、それから定期的に通い治療しています。

 この患者さんは、40代で陽気な方です。サロマ湖の100キロマラソンでも、走りながら笑顔を振りまいている様子が目に浮かぶようです。ご夫婦で参加していて、同じ趣味で端からみていていも、楽しそうなカップルです。奥さんも定期的に治療に通ってくれています。いろいろ悩みごとなどにもお答えして、心の健康にも役立つ治療を目指しています。

 ランニングなどなさる方は、こちらのご夫婦のように普段から定期的に身体のケアを薬師堂でなさることをお勧めします。

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仲間由紀恵と黒髪、黒猫、黒船屋

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仲間由紀恵が黒髪美人三連覇だという。優しさと強さを表現したいい女優だと思う。近眼なのだろうが、あの潤んだ瞳がかわいらしい。

 夢二の絵のモデルのように、黒髪、黒猫、黒船屋と黒々づくめの写真を撮るといいかもしれない。そろそろこうした艶っぽい演技もできる女優になるころかも。

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最高の夕暮れを取り込む

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 昨日の夕暮れは、この一年で最高かと思わせるほどのすがすがしい夕暮れだった。そのすがすがしい空気を風を自分の体内に取り込むために、太極拳を舞った。気功や太極拳は、自然と会話するためのすばらしい方法だ。

 動いているうちにすんだ空気と一体化し、そよ風になったように流れてゆく。自然のなかに自分がとけ込んで消えて行く。自由自在、融通無碍、なんの障害も思い煩うこともない、ただ、自然と一体になって動いてゆく。

 風、澄んだ空気、夕焼け、自然は、自分であり、自分は、自然そのものだ。

こんな気分を味わいたい方は、ぜひ、薬師堂にご連絡ください。あなたも自由自在な流れの一部なのです。

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