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2009年11月

今年は、九の歳

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 2009年は、新しい政権ができて、日本も新たなスタートを切りましたが。鳩山総理も偽装献金問題で「万事休す」とならないようにがんばってもらいたいものです。

 一番問題なのは、これからの日本をどうやって成り立たせていくのかということで。しっかりとした戦略をもって、経済と生活の立て直しと早くして欲しいと思います。

 日本は四方八方を海に囲まれているのだから、海洋資源開発には特に力をいれてもらいたいですね。資源大国になれば、少しは将来も見えてくるというものでしょう。子供手当で国民にお金を配る余裕はすでにないはずですから、その分、将来、子供達が日本で仕事ができるようになるために使ってほしいですね。

 このままはっきりとした将来像がないまま歳をこせば、それこそ「万事窮す」というこになりかねません。

ブログネタ: あなたが選ぶ2009年の漢字を教えて?イベントも開催予定!参加数

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正しい立ち方は健康の元

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 気功教室で太極拳の最後の形、収功を終えた時のみんなの姿勢は、本当に美しいと思う。生徒さんのその姿勢を見ると、みんなが自分の言いたいことを深く理解してくれていることがよくわかる。

 正しい立ち方を習得するということは、正しい生き方を習う事だと思う。執着を手放し、日常の雑念を払い、天地にすっくと立つ時、天地のエネルギーが、自然に流れ込んで深い瞑想状態に近いところまで入ることができる。ただ立っているだけで非常に気持ちがいい。

 日常に動作では、図1のよういについつい背中が丸くなり、顎が上がり呼吸が浅くなってしまう。腹筋が弱くなるお腹に力が入らなくなると腰が前に突き出てしまう。これでは内蔵を含めからだの働きが、悪くなっても仕方ない。

 そのために図2のように顎を引いて脳天を突き上げるようにして、肩をうしろにひいて胸を開く。この状態だと頚髄は引っ張られて間脳などの脳の中心が刺激されて気持ちがいいし、胸を開く事によって心臓の圧迫もとれて、全身に血流もよくなる。しかし、このままでは、腰をそらせているので腰の負担が増えて、腰痛の心配がある。

 そこで図3のように息を吐きながら、肩、肘、手首の力を緩めてゆき、足の裏全体に重さがかかるようにする。この時、腰、胸、肩の力が自然に抜けて、気が大地からわき上がり身体を下から支えて実に気持ちがいい状態になる。

 このようにただ立つことだけで、人は健康を作ることができる。

日頃から、背中が丸くなっていないか注意して、気がついたら、顎を引いて胸を開き、力を抜いて正しい姿勢に収まるように工夫してみてください。

 詳しくは、薬師堂まで!

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太陽

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 今朝は、太陽の光が心地よかった。眉間から身体の中に勢いよく入ってきた。こうして太陽と対話していると、「太陽は顕現した中心で私たちすべての親であり神である」ことがよくわかる。お天道様とはこのこと言ったのだろう。

 素直に太陽に感謝したい気持ちになる。太陽なしでは、一分一秒も存在できないのだから。

 太陽の光がこれほどありがく感じたのは、どうも今日は風気味で身体が重かったのもあるようだ。午前中の気功のクラスが終わった後も、なんだか重だるく夜の教室は大丈夫かと心配した。しかし、終わってみるとすっかり元気が復活して、身体がすっきりと軽くなった。

 両手を外に回していると身体の中心を太い気の柱が天地に貫いて伸びてゆくのがわかた。天地の元気が身体に充満してくるのがわかった。終わった後にみんなが温泉の話で盛り上がったが、気功をしていると身体の中から温泉が湧いてくるので、だんだん温泉にゆく必要もなくなってくるんですよと話した。

 身体の中に無限の温泉を掘り当てれば、これほど素晴らしいことはない。尽きることのない命の泉は、わたし達そのものの中にあるのだから。

 みなさんも薬師堂で命の泉を掘り当ててはいかがですか。

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真我

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 真我と言う言葉をインターネットでひいていたら、真我を開発するという講座に行き当たった。真我は、純粋な意識、本来の自己、愛、神、命と様々な言葉で表現することができるだろう。真我とは、すべてを手放して、ただ、帰るべき故郷のように思える。

 真我は、太陽のように無限のエネルギーを放っているが、太陽から一度も請求されたことがないように無償の愛を私たちに注ぎ続けてくれている。

 インドの女性の聖者のアンマや沖縄出身の上江洲先生もいつも無償の愛を放っている。彼らは、あまり食べず、あまり眠ることもない、ただただ、無限の愛とエネルギーを私たちに与え続けてくれている。それにもかかわらず疲れ知らずだ。真我を開くということが、無限のエネルギー原と一体化することだと言うことがよくわかる。

 真我を開いた人の近くに行って、その人のエネルギーを感じるということがとても大切だと思う。なぜなら、言葉は、嘘をつけてもその人が放つエネルギーは嘘をつけないのだから。そうすれば、真の愛の波動の中で私たちの中に眠る真の我もいつかきっと目を覚ますことだろう。だから、言葉以上にその人の放つエネルギーの質が大切だと思う。

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我即神、神即我

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 昨日は、お茶の水に上江洲先生の会へ行ってきた。今回は、上江洲先生の光話を聞きながら、一超直入如来池と言う言葉が浮かんだ。

 つまり四の五の言わずに一気に如来の境地に飛び込めということ。「我即神、神即我」と唱えながら、頭のネジを一気に切り替えることが大切と感得した。

 これは、最高のマントラではないかと思う。

帰ってきてからも、一日中この言葉を眉間の奥で味わいながら唱えた。「我即神、神即我

一瞬で全てが反転するよにその境地に入れるような気がする。

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波世

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 この間、内蔵が踊り出して元気いっぱいになった患者さん。昨日、治療に行くと今日は、朝から精神的に不安定だという。どれどれと言いながら、指圧をしてゆき胃の反応のあらわれる筋を指圧してゆくと、確かに堅い詰まった感じがする。

 「それほどひどいわけではないが、どこか気にかかる気が詰まったところがありますね。」というと、実はと悩んでいることを話始めた。

 話を聞き終わった後に、「この世はまるで、闇夜ではなく「波世」ですね。次から次といろいろな問題がやってくる。」と語りかけた。その後、その問題について話を聞いて、適切なアドヴァイスを行いながら指圧を続けた。問題が解決して、心の整理がついたとたん、また、お腹が動きだした。「身体とは、正直なものですね。」とお互いに顔を見合わせた。

 自分が感じたものを信じてゆくのはいいのだが、いきなりこれがいいから信じなさいと言われても、なかなか受け入れがたいものだ。「~すべきだとか」「~しなければならない」「~しないと不幸が訪れる」とかそうしたもので、人を動かそうとするのは、真の信仰とは言えないだろう。単なる脅しにしかみえない。

 人を様々な思いこみから解放して、純粋で喜びに満ちた真に自由な存在に返すことが大切だと思う。

 

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朝起きてすっきり、寝ながらできる元気瞑想

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 寝ながらできる気功あるいは瞑想法があれば、これは便利だ。朝起きてすっきりと元気になっていれば、毎日が明るく楽しくなる。そう思って、「寝ながらできる元気気功」を開発した。実は、毎晩していることをまとめただけである。

 今までは、眉間の奥のアジナチャクラとハートの奥のハートチャクラに焦点を合わせて般若心経を唱えてきたが、最近、やはり臍下3センチぐらいのところにある丹田に気を集めることも身体が温まって重要だと思うようになった。

下からエネルギーを上げて丹田を開くとこの世との因縁が深まりそうで、不安があったが、上から開いて天のエネルギーを降ろして丹田を開く分には、なんの問題もないようだ。

 丹田が開くと電熱線で温められているようで、非常に気持ちがよく朝起きても元気にあふれている。

 方法は、とても簡単である。般若心経を覚えている人は、それをアジナチャクラからハートチャクラ、そして丹田と順に唱えてゆけばいいし、まだ、覚えていない人は、「ガーテー。ガーテー、パーラーガーテ、パラサンガーテー、ボージースヴァハー」と唱えてもいい。また、自分のマントラがある人はそれを唱えればいいし、まったくそうしたものがない方は、「元気、元気、元気、元気になる」と繰り返し唱えればいい。

 気は一種の波動なので、音を唱えることによって、エネルギーのセンターに振動を与えることができれば、効果がでてくるだろう。

 詳しくは、薬師堂にお尋ねください。

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ストレスと顔

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 人間、ひどいストレスを受けていると自然と顔つきにも表れるものだ。
いつも来る近所の患者さんの表情がここのところ冴えない。なにかきつね色の仮面でもつけているように感じるほどだ。

 会社の経営者でもあるこの患者さんは、不景気の中、自らを鼓舞しながら、必死に業績を上げようとがんばっているにちがいない。去年からはじまった不況で、そうとう疲れがたまっているようだ。

 ストレスは無意識のうちに内臓の働きに影響を与え、そのダメージが顔に反応としてでるのだろう。腎、肝、心そしてもちろん胃に影響を与え、その疲れがしみのように顔色をわるくしてしまう。こういう時は、気の流れも悪くなってしまうので、思考もあまり働かなくなってしまう。元気がなければ、交渉ごとでも相手に押されて、マイナス思考に陥りやすい。

 気功指圧で気を入れて内臓の働きをよくしていくと、しだいに顔色も明るくなり笑顔が戻ってくる。こうした不況の今こそ、指圧で元気を復活しておくことが肝心だと思う。気功指圧は、単にコリをほぐすでけでなく、あなたの中に眠る命の泉を開くことを目的としてますので、きっと元気に生き生きと暮らすことができるようになります。

ぜひ、お気軽に薬師堂をお尋ねください。

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内蔵は踊る

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 今日も指圧をしているとある患者さんの内臓が、元気に動き出した。大きな音を立てて動いているので、患者さんは恥ずかしいそうに聞いてきたが、意外とこちらには聞こえないものだ。まるで「踊る内臓、ポンポコリン」状態だったようだ。

 指圧を受けていてこんなに内臓が動くのは、はじめてのようだった。医師からは、脊柱管狭窄症と言われて、腰痛や足のしびれがとれなかったのが、指圧をするようになってすかり良くなってしまい、今日は、病院に行って先生に飲み薬も貼り薬もいらないと言ってきたと喜んでいた。

 内臓の状態は、顔にも出るし、腰にも出る。内臓が気功指圧によって踊るほど元気になって、様々な症状がよくなってきたのだろう。

 指圧が終わった後、患者さんの顔を見たら、今までになく明るく元気になっていた。

ぜひ、みなさんも薬師堂で内臓を元気にしてください。

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めまい

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 すっかり葉を落としたサクラ並木のトンネルを見て、一瞬めまいのような感覚がよぎった。ついこの間、サクラの花が咲いたと思ったばかりなのに、すでにそこにはあの明るくにぎやかな花の影はない。

 小椋桂の歌に「めまい」という曲があるが、まさにこのことを歌っていたのだろう。「時は私にめまいだけを残してゆく」。若い時は、この曲の意味するところが、よくわかっていなかったようだが、今は、その「めまい」の感覚がよくわかる。

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 この世は、メリーゴーランドのように回転している。その高速な回転を自覚した時に「めまい」の感覚が起きるのだろう。電子は核の回りを回転し、地球は、回り、しかも太陽のまわりを公転し、銀河系もまた渦を巻いて回転している。

 その回転から逃れるには、自らの不動の一点に帰るしかないのだろう。それは意外と簡単だ。

 しばらく残り少ない紅葉の様子を写真に納めながら、公園内を散策する。

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 そして、いつもの松林につくと松林の風に耳を澄ませながら目を閉じた。

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考えてみれば、時間は常に過ぎ去ってゆく、しかも、高速に。そんな日常的な時間の中に身を置くこと自体が悲しみの原因なのかもしれない。無常とはこのことか。なにかの拍子にそのことに気がつくと大変なショックを受けてしまい、時にふさぎ込んだりパニックに陥ることもあるだろう。

 だからこうして松の樹のように目を閉じて天地を貫く縦の時間の中に身を置いて、ただ、自分の回りを通り過ぎる風の音に耳をかたむけることも必要なのではないだろうか。思考も時間も止めて、ただ、天地の間に呼吸していると、しだいにハートの中なら温かなエネルギーが流れ出て、心と身体を癒してくれる。

 

 



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起立性調節障害

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 「起立性調節障害」と病院で診断されて、もう随分長く朝起きあがる事ができずに学校に行くことができなかった中2の患者さんが、今日、うれしそうに走ってきた。何日ぶりで学校に行くことができたのと聞いたら、2ヶ月ぶりだったいう。

 今までは、午後4時ぐらいにならないと起きあがれなかったのが、今日は、朝7時に起きあがれたそうだ。まだ、治療を初めて2週間ぐらいだが、だいぶ元気がでてきた。

 治療に母親に付き添われて来た時は、歩くのもやっとといった感じだった。手足が冷え、足に脂汗をかいていたので、ベッドのシーツが汗でぬれるほどだった。百会と湧泉にお灸をして、身体の縦の気の流れを良くして、お腹の丹田と背中の腎愉、命門にもお灸をして、お腹を温めて冷えをとった。おそらく冷たいものの飲み過ぎで、お腹を冷やしてしまったのだろう。

 治療に通ううちにしだいに足の冷えが取れ、お腹も温まって、脂汗もかかなくなった。ヨガの左右の捻りやすきのポーズとブリッジによる間脳への刺激の入れ方を教えてあげたら、前回はまだ、4時にならないと起きられないと言っていたのが、今回は、学校に行くことができたと喜んでいた。今日は、ついでに太極拳も教えておいた。

 元気になってくると不思議なもので、目に輝きと力強さが戻ってくる。少年らしい生き生きとした笑顔が眩しくなってきた。お母さんもほっとしていることだろう。

 薬師堂に来て、元気な笑顔になって帰ってゆく患者さんの姿を見るのが、なによりの楽しみです。みなさんも、ぜひ、ここへ来て元気と笑顔を復活させてください。心よりお待ちしています。

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朝起きてほっくほく

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 今日は、朝起きたら、身体が焼き芋みたいにほっくほくだった。一時に来た患者さんも今日は特別身体がほかほかに温まったと喜んで帰っていった。

 やはり、おへその下3センチぐらいにある丹田に気が集まっているようだ。丹田が開いたので、命の泉もわき上がってきたのだろう。寝ながら丹田に意識の焦点を集めるとヒーターが入ったように温かくなってくる。

 同じよに眉間の奥のアジナチャクラやハートの中のハートチャクラにも意識を集めてみると同じように気が流れ出す。この三つのエネルギーのセンターが開いたことで、身体中が温かくなるようになったようだ。

 気功では、この三つのチャクラのことを、上丹田、中丹田、下丹田と呼んでいたような気がする。確かに、この三つは、大切なエネルギーのセンターだ。

 寝ながらにして鍛錬して、心と身体が気に満たされたら、これほどすばらしいことはないだろう。冷え性や不眠症で悩んでいる方には、ぜひ、お勧めした方法です。

 詳しくは、薬師堂まで!

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心配いりません。ただ、自分が感じることを積み上げるだけです

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 この間の患者さんも、今日はだいぶよくなった。帰りしなにこうした治療院に来るのは、ちょっと不安だったと言われた。

 「確かにその気持ちはよくわかります。でも、うちの場合は、ただ、自分が感じたことを積み上げてゆくだけで、けっして人を洗脳するよなことはしません。自分が感じることを信じてゆけば、しだいに気が内面からあふれ出して、自然と元気になりますから。」と答えた。

 この間、「イエスマン」という映画を観た。あるセミナーで「イエス」とだけ答えて、決して「ノー」と答えないでいると運勢が好転するというセミナーにでた主人公が、その通りにして運勢を好転させてゆくが最後にそれは単なる暗示だったことに気がつくというスートリーだった。「ノー」と答えると悪いことが起きるという暗示を与えると怖くて誰も「ノー」と答える事ができなくなって、その団体から離れられなくなる。そうして洗脳してゆく方法は、未熟な宗教や自己啓発セミナーなどあらゆところでよく使われる手だ。

 薬師堂の治療や気功では、そうしたことは必要ありません。ただ、実際に自分が感じる心地よさ暖かさ深い安らぎを深めていっていただくだけで、しだいに心と身体が日常の雑務や思考、苦悩、悲しみ、不安、恐怖から解放されて、自由で光輝く喜びに満ちた世界に気づいてゆきます。本来の我々の姿をしることが、心や身体の病で苦しむ人にとっての一番の薬だし治療だと思います。

 ぜひ、安心して薬師堂にお出かけください。

 

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紅葉

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 今年も紅葉のシーズンがやってきました。いつも行く渋川の総合公園の紅葉もすっかりきれいに色づきました。最近は、一年がすぎゆく早さに気圧され、もうまた紅葉の季節がきてしまったのかと、あまり喜ぶ気にもなれません。

 道元禅師の修証義に「生を明らめ死を明らめるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、ただ生死すなわち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃としてねがうべきもなし、このとき初めて生死を離るる分なり、ただ一大事因縁と究尽すべし、人身得ること難し、仏法おうこと希なり、今我ら宿禅の助くるによりて、すでに受けがたき人身を受けたるのみに非ず、あいがたき仏法にあいたてまつれり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身をいたずらにして露命を無常の風に任せる事なかれ、無常たのみがたし、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身すでに私にあらず、命は光陰に移されてしばらくもとどめがたし、紅顔いずくへかさりにし、尋ねんとするに証跡なし、」

 子供の頃、父親が運転する後部座席に横たわって、夜空を眺めながら、「この一生もあっという間に終わってしまうのだろうな。」と思ったものだが、確かに時間の流れの速さに唖然とする今日この頃となった。

 季節が移りゆき、身の回りの景色がどんどん変わっても、不変の喜びをたたえる内面にある命の泉に気がついてからは、別段焦ることもなく、気功や治療に来てくれる皆さんと供に日々深まりく気の感覚を楽しんでいる。

 求めるものは、どこか遠いところに有るわけではない、今、ここ、すぐそこにあるということをこれからも伝えて行けたらと思います。

 どうぞ気楽に薬師堂にお越しください。

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黄金バット

今日、喫茶店にいったら、黄金バットの話がでた。思わず、「ああ、紙芝居で見たよね。」
店主:「え~、紙芝居ですか。」
私:「あれ、紙芝居見たこと無い。」
店主:「ええ、紙芝居は見たこと無いな。」

 そうか、紙芝居のない世代だったのかと妙に納得。
紙芝居があったのは、幼稚園にあがる前かそのころか。だが、確かに水飴を食べながら、紙芝居を見た記憶がある。

 紙芝居は、日本の漫画やアニメ文化の大本だったのかもしれない。「黄金バット」は、まさに最初のヒーローなのではないだろうか。

 三丁目の夕日ではないが、あの頃はよかったなと思う。みんな貧乏だったが、なんとなくほのぼのと温かかったように思う。

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パニック障害と外出不安

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 パニック障害の方が治療に見えた。気功や気功指圧は、パニック障害の方に効果があると思っていたのだが、意外と治療に見える方が少ないのは、なぜなのかと思っていたのだが、今回、友達の車に乗せてもらって、治療にみえたので、その訳がわかった。

 パニック障害になると、再び発作を繰り返すのではないかという「予期不安」と「広場恐怖」に襲われるとある。広場恐怖に関してはウィキペディアにその記載があるので、掲載させていただます。

 「パニック発作の反復とともに、患者は発作が起きた場合にその場から逃れられないと思われる状況を回避するようになる。回避される状況としては、電車や飛行 機、歯科、理・美容室、レジを待っている時、道路の渋滞など、一定時間特定の場所に拘束されてしまう環境や、ショッピングモールなど人込みの中などがある (他にも、人によって広場恐怖の種類は様々である)。さらに不安が強まると、患者は家にこもりがちになったり、一人で外出できなくなることもある。このよ うな症状を「広場恐怖(アゴラフォビア)」という。広場恐怖の進展とともに、患者の生活の障害は強まり、社会的役割を果たせなくなっていく。そして、この 社会的機能障害やそれに伴う周囲との葛藤が、患者のストレスとなり、症状の慢性化をさらに推進していくこととなる。」

 この記述を読んで、なるほどと納得した。今回の患者さんは、電話での応対は、まったく普通だったので、外出も問題ないのではないかと思ったが、やはり、家から一歩外にでるには、まだ、不安が残っていたようだ。

 元々、この世は、いつ死ぬかも知れない一時的で、たえず変化してあてにならないものだ。ただ、日常的には、日頃の雑事に追われてそのことを忘れている。それが、ふとした切っ掛けで、まるで谷底の上にはった透明なガラスの上を歩いているような現実に気がつくことがある。その時、人は大変なパニックに襲われる。

 この世の基本的な構造を理解しれいば、それほどパニックを起こすこともないだろうが、残念ながら学校でも社会でも誰も、そのもっとも大切なことを教えてくれない。ただ、よりよくこの世を乗り切るための技術を教えるだけだ。

 気功指圧は、患者さんの心と身体の中心に働きかける。そして、中心からわき上がるエネルギーを体感することによって、我々が単なる肉体をまとった一時的な存在ではなく、永遠にわき上がる命の泉であることを思い出してもらう。それによって、心の平安と身体のゆるみと解放をうながしてゆく。

 パニック障害で外出できず、治療を受けうることをためらっている方がいれば、よろこんでこちらからお伺いしますので、遠慮無く薬師堂までご連絡ください。

 

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果報は寝て待て

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 一昨日の夜、寝ていたら、身体が放射状に広がる温かなエネルギー場に包まれる体験をした。それはとても気持ちの良いもので、こころ安らぐものだった。

それは、わたしたちの中心が開き、中心があると言った感じだった。

体中は、温かで、放射状にエネルギーが広がっていた。

ついに中心が開いたかと思い、今までの苦労が報われる時が来たのだとうれしく感じた。

長い間、愚直に自分の中心に向かって掘り進んできたのは、このためだったという思いだ。ある時などは、リゾートの山荘で組関係の方の足の裏を夜中のい1時半まで施術させていただいたこともある。ただひたすら誠実に気を込めて指圧させていただいてきた。

 マッサージという仕事は、ある意味、もっとも底辺の仕事と見られないこともない。慰安、按摩と言われることもあるだろうが、また、最も身近に様々な職業の様々人柄の人の身体に直接触れ、お話を聞けるというありがたい仕事でもある。

 上から目線ではなく、下から謙虚な態度で仕事をさせていただくことが、エゴを削り修行となる。もっとも謙虚なもののさらに謙虚な者となって、完全にエゴが破壊された時、悟りがやってくるのだろう。

 こうした下積みのないヒーラーとかいう人や無資格のなんとかマッサージは、あまり信じることはできない。最近は、そうした軽いのりの人たちや業者が、ヒーリングと称してお金を取っていることが増えているように思う。患者さんには、ぜひ、命の本質を見据えた治療家を選んでほしいものである。

 気功指圧を受けていただければ、きっと命の根元からわき上がるエネルギーを自らの内に感じていただくことができるでしょう。

 詳しくは、薬師堂まで!

 

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癒しの異空間

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 気功教室は、本当にほっとする。気功をしている時が、一番幸せだとしみじみ思う。今日の生徒さんたちは、割と元気そうで、家庭でもうまくいっているようだったので、「今週はは、皆さん、うちでもうまくいっていたでしょう。」と聞いたところ、「その通り」と答えた人と、意外にも「やっはり、そうでもないですよ」と答えた人がいた。

 顔いろをみるといつもよりいいが、それでもいろいろとうちに帰ればあるのだろう。

気功教室にいる間は、すべての日常から解放されて、まるでそこは「癒しの異空間」となる。日常の雑事、悩み、心配から離れて、命の根元に溶け去ることができるからだ。

 太極図は、陰と陽という二つのエネルギーがいつも回転している様を表している。だから、太極拳は、たえず両手をぐるぐる回すように動かしている。そうすることで身体の中を気がめぐり、体内が活性化して、元気になる。収功で納めて、最後に両足をそろえてまっすぐに立つのだが、これは、地球の中心から天に向かう遠心力と天から地に向かって重力との二つの力が一つになってできる天地の軸に自分を合わせることだ。

 最後に天地と一体化した時は、とても気持ちがいい。みんなの表情を見ていると自然に深い瞑想状態に入っていることがよくわかる。自分自身の身体で「1」という字をかいて、「すべては一つ」ということを表している。

 気功教室が終わって、ドアから外に出てい行く時に一人の生徒さんが、「さあ、また勝負に行くぞ」と言ったので、一同大笑いした。彼女が旦那さんとは気が合わないのを知っていたので。

 心と身体の健康のためには、こうした空間をもっていることが、大切だと思う。そうすれば、うつやパニックで悩むほど落ち込むこともなくなるだろう。

 詳しくは、薬師堂まで。

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おやじジャズ

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 先週の日曜日は、前橋にジャズのライブを聞きに行った。群馬で活動している方と喫茶店で知り合って誘われたので行ってみた。ジャズのライブは、はじめてでもしかして暗いのではないかと心配したが、実に明るく楽しかった。

 ジャズにもいろいろあるらしいが、ピアノとギターとドラムとベースの4人で演奏していた。ドラムの人が知り合いだったが、実にまじめな方のようで、その誠実さがドラムにもでていた。 

 なんといっても、演奏している いわば おやじたち(もしかして、日本では有名な方なのかもしれないが)が実に楽しそうなので、聞いているこちらも楽しくなった。

 気の感覚としては、小さなエネルギーの渦がからだのあちこちにわき上がるようで、しだいに眉間のアジナチャクラに収斂して気持ちよくなってゆく感じだった。情念とは切り離された、軽やかで透明な音の遊びが楽しかった。

 ちらほら女性も見かけたが、これはどちらかというと隠れた男の楽しみ「おやじジャズ」の世界だと思った。

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実感

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 そういえば、最近、上江洲先生の話では、悟るということは「実感」として感得するということが、大切だと言う話を良くしている。

 気功や指圧をしていると、いつも「気」を実際に感じながら生きているので、この話は実によくわかる。上江洲先生の話を聞くときも、先生の言葉の中から放たれるエネルギーを感じているので、話の内容はほとんど覚えていない。

 よく話を録音している人がいるが、彼らは、言葉を知的に理解しようとしているように見える。知的な理解は、人を観念的にして、かえって本質から遠ざけてしまうかもしれない。そうした神話的な物語の世界にはまってしまうと、宗教による戦争やテロといった本来の趣旨とは正反対の行為にでてしまうのだろう。すべてが、一体であると感得した人々が、どうして人を殺すことができるのだろうか。

 だからこそ、すべてが一体であると実際に感得した人の話を聞いたり、近くにいることで、その人から放たれるエネルギーを感じることが大切となる。宗教が、単なる思いこみを人に押しつける時、それはたいへん危険なものとなる。「分けない、裁かない、すべてを感謝しうけいれる」ということが、真に悟ったということの証だろう。

 アメリカの強欲資本主義の影響で最大限にふくらんだ欲望が、破裂した今。練炭と睡眠薬で人を殺す前に、本当の幸せとは何か。永遠の喜びを実感できる生き方を求めては、いかがだろうか。

 

 

 

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