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アンマの言葉

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今週はアンマが東京に来てくれていたんですが、平日だけだったので、仕事でいけませんでした。残念でした。無償の愛を私たちに教えてくれて、いつも温かくハグをしてくれるアンマは、愛についてこんな風に語っています。

以下引用

愛が神格の「愛」になる時、同時に慈悲、つまり思いやりがハートにあふれる。愛は内なる感覚で、思いやりは愛が外に表わされたもの。思いやりとは、誰か苦しんでいる人間に真心からの気遣いをあらわすこと。だか ら、愛と思いやりは、同じものの裏と表で、共存している。

愛と大きい「愛」の二つがある。あなたは、家族を愛しているけれど、隣の家の人のことは愛していない。 自分の息子や娘は愛しているけれど、すべての子供たちを愛しているわけではない。自分の父親、母親を愛しているけれど、そんなふうにすべての人の親を愛しているのではない。自分の国は愛しているけれども、すべての国を愛しているのではない。
だから、これは本当の「愛」ではない。限定つきの愛にすぎない。限定つきの愛 を神格の「愛」に変容させることが、霊性の目標なのです。「愛」に満ちると、美いしくて香しい慈悲の花が咲く。

「」なしの愛は、狭く限定された愛。それは、小さい自分の世界に存在するもので、そこにはせいぜい数人か、物が数個しかはいれず、狭くて絶えず変化している。そこには盛り上がりがなく。盛り上がりに見えるところも、高い山ではなく、地面から少しだけ盛り上がっているだけ。小さな山はすぐに平らになって、平地になり、この愛には浮き沈みがある。そのうち、すべての「浮き」は消えて「沈み」だけになってしまう。

この変転する愛は、「私は」と「私の」という感覚が消滅した時に初めて永遠の「愛」となることができる。 「私」という感覚があるかぎり、そこには「あなた」という感覚もあるから、愛はいつでも個人的な色彩で、二人の人の間に生じ、愛するためには二人いなくてはならない。この二人が消滅すると、愛は個人 的なものではなくなる。その一体化の状態のなかには、大きな「愛」の絶え間ない流れがある。その時はじめて、「愛」がその源流からほとばしりはじめる。「愛」が流れ出る時、行く着く先のことは考えず、 ちょうど河の流れのように、「愛」の流れはさえぎることができない。河は流れずにはいられない。河は 、その行き着く先、海のことは考えない。海に流れこむのは、ただ流れの結果として起きるから、そこには計算がまったくない。

同じようにエゴや恐怖という障害物と、他者という感覚が消えると、あなたは「愛」すること以外は何 もできなくなる。何も見返りを望まない。受けることには関心がなく、あなたは、ただ流れる。

以上引用終わり

前にもブログに載せたことがあるような気がしますが、すばらしい言葉なのでもう一度載せてみました。

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