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私たちは、電池ではなく電気である

Denchi4111

最近、瞑想をしていると身体の中を強い気が流れ、時にはビリっと電気が指先に流れるように感じることがある。そんな時は、「人間って要するに電気なんだな。」と実感する。昨日往診した患者さんと般若心経の話になった。その患者さんが行っているデイで般若心経を写経している人がいるということだった。ついでに「死後の存在を信じてますか。」と聞いたら、以前、デイで「あなたが亡くなった後も家族のことを見守ってやりたいと思いますか。」と聞かれた時にほぼ全員が手を上げたと言っていた。「そういうことかと納得がいった。」と答えてくれた。

 

それに対して、「今こうして指圧をしていると電気が流れるのを感じたと言ったでしょ。人間は、電池ではなく電気なんですよ。肉体ではなくてエネルギーの流れという意味ですが。地球も元は、太陽から生まれたようなものでしょ。同じように人間もその元をたどれば、太陽そのものなんですよ。だから、こうして気功指圧で気を入れて行くと内臓が動き出して、身体が温かくなってくるでしょう。死んでも元の光に帰るだけだと思うんですよ。そう思うと気が楽でしょ。」と説明した。

 

日々身体の自由がきかなくなってきて、しかも一人で暮らしているとなんとなく鬱ぽっくなってしまうものだ。しかし、自分の存在が肉体という形ではなく、自由なエネルギーの流れだと思えば、死に対する恐怖もなくなってくるだろう。指圧を通してそんな元気と喜びが伝わればと思う。

 

私たちは、電池という形ではなく、電気そのものだ。これからも電気だしてゆこう!

延命治療と称して、たくさんのチューブで身体をつなぎ肉体を一日でも長く維持することに意味があるのか。命は、肉体と言うよりもその中に流れる電気そのもので、生命場とも言える電磁場とそこにのる意識だとしたら、次のステップへと流れゆく命をたくさんのチューブで肉体の中に止めることに意味があるのだろうか。しかも、やがては肉体を去らざるを得ないというのに。

 

この世の悲劇は、命を肉体を混同していて、肉体とこの世の物に執着することから始まっている。自分たちの本質が、肉体という物質ではなく、気というエネルギーの流れでありそのエエネルギー場だとわかれば、肉体や物質に対する執着もなくなって、もっと自然に流れる暮らし易い世の中になるのではないだろうか。

 

肉体に執着するからこそ、肉体を粉々に破壊するための兵器を開発し、果ては地球そのものまで破壊してしまうような核兵器まで開発してしまうという愚かなことをしてしまうのではないだろうか。

 

自分たちが自由なエネルギーの流れだと思えば、わざわざ他者の肉体を破壊してまで、この世にとどまる必要もないということがわかるだろう。

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