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夜寝て夢を見るのは、無駄ではない

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先日往診に行った患者さんの所で、能の話がでた。大学時代に能研に入って能をクラブ活動でしていたんですよと話したら、「私も一度前橋に来た時に観に行ったことがあります。一番前の列だったんですが、寝てしまいました。さぞ、演じていた方は、がっかりしたでしょうね。」と言った。そこで「そんなことはありませんよ。能というのは、「夢幻能」という言葉があるように夢うつつのうちに観る物なんですよ。半分覚めて半分寝ている意識の状態で観るから、ちょっと歩いただけで何千里も移動したようみ見える仕掛けなんですよ。」と答えた。

 

能も物語そのものが、たいたい亡霊が登場し、旅の僧に生前果たせなかった想いや悲しみ苦しみを語ることによって浄化して、本来行くべき場所に帰って行くという設定なので、半醒半眠の意識の状態でまるで夢の中の出来事のように観るようにできている。すると登場人物の無念の想いと自分の中にある満たされない想いが共鳴し、観ている者の心も同時に浄化されてゆくのだ。

 

話は、少し違うが、昨日、うち下宿している子が、最近は、夢を見ることが多く、どうも熟睡しているような気がしないと言っていた。彼は、夢を見ないで眠ることがいい睡眠だと思っているようだ。しかし、自分の考えは、少し違う。昼の意識も夢の意識も、同じ意識であることに変わりはない。どちらかが主でどちらかが従ということはない。どちらも同じように存在し、大切なのだ。だから、夜寝てみる夢ももっと楽しめばいい。そして具合が悪い状況に巻き込まれたら、すぐに覚めればいいのだ。覚めれば、その世界とはきっぱりとつながりが切れる。きっとこの現実もそうなのだ。この世も一つの幻想の世界と同じで、肉体の死によって本来の意識の世界へと目覚めるだけなのだ。

そう思えば逆に、核爆弾のように本気で人の肉体を破壊するような行為が無駄でばかげたことだということに気がつくのではないだろうか。

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