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食の偏りは、心の偏りを生む

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ちょっと前に、最近は、セレブの真似をして菜食のビーガンという人たちが増えて問題になっているという記事をどこかで読んだ。前からこの言葉は聞いたことがあるが詳しくは知らないので、インターネットで調べてみるとこんな風に書かれていた。

 

以下引用

 

 

(英)vegan。

 

絶対菜食主義者・純粋菜食主義者。いわゆるベジタリアン菜食主義者)と混同される事が多いが、卵や乳製品を食べるのに対し、ビーガンは、それらも一切口にしない。さらに、洋服、靴や鞄などにおいても、毛皮および皮革、ウール、シルクなど動物を使用した製品の一切を拒む人々もいる。代用品として、アクリル、綿、麻、レーヨン、ポリエステルなどが用いられる。

 

ベジタリアンにもビーガンにも、ある程度の個人差と程度差がある。

 

栄養学知識の少ない者が無理をし、骨のカルシウム密度が減ったり、内臓や眼や皮膚に障害を起こす事件も起きている。肉の代用として、豆、豆腐、納豆、肉もどき食品、ナッツなどでタンパク質を摂取することが必要となる。

 

引用終わり(Hante keywardより引用)

 

かなり厳格な菜食主義のようだ。

 

この記事を書いてのも、実はこの間、行きつけのカフェでランチを食べていたところ、窓際に座っていた女性が、すたすたと席を立ち、トイレに行ったのかと思っていたら、車のエンジンをかける音がしてそのまま帰ってしまうというのを目撃したからだ。しかも、出された料理には、いっさい手をつけず料金も払うこともなくなんの断りもなかった。店主に聞くと「ビーガンだからしょうがない。ビーガンは変わった人が多いから。」と言っていた。でも、待てよ。これは食い逃げでは、ないが食わず逃げという立派な軽犯罪ではないだろうか。たとえそれが、食べられなかったとしても、その旨を店主に相談し、料金を払うべきかどうか聞くのが、人として当然の行為ではないだろうか。何告げずにそのまま店を後にするのは、あまりに失礼な行いと言えるだろう。

 

食が偏ると心も偏りがちだ。このような食にこだわりがある人は、友達と普通にランチするという訳にもいかないだろうし、おそらくほとんどの店が使えないのではないだろうか。人ととのつきあいができなくなれば、ますます孤立化して意固地になってしまう。そして、狭い了見の中で生きているうちに、こうした自分勝手な振る舞いも当然のことのように錯覚してしまうのだろう。

 

自分も基本は玄米菜食がいいと思うが、それでは生活できないので、肉でも魚でもあまり好きではないがこだわりなく食べている。なぜなら、何を食べても人間の本質が光りであることに変わりなく、かえって食にこだわる方が、社会との調和を欠いてしまうからである。

 

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