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2017年5月

気功指圧は熱く癒やす

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昨日、患者さんに気功指圧をしていたら、「先生の手は熱いですね。服の上からでも熱いんだから、すごいですね。」と言われた。自分自身は、ちょっと頭痛がしてそれほど体調は良くなかったが、そんなことにはお構いなくしっかり気は流れ出ている。

気功をしているとだんだんと体の内側から気がわき出るようになるのだが、それはまるで自分が太陽になっていくようなものだ。自ら光りとなって周りを照らすという意味で、自灯明という言葉があるが、気功指圧を始めると体が熱くなって熱を出し始めて熱くなってくるので自太陽という言葉の方がふさわしいように思う。

気に対して敏感な人は、熱湯が流れるように感じることもあるし、そうでなくとも体が芯から温まり春の日の日差しに照らされているよう温かく気持ちがよくなってくる場合が多いと思う。体から温泉が湧き上がるように体の内側から自然に癒やされてくるのが気功指圧だ。

これは、体験して見なければ決してわからないので、ぜひ、大勢の人に体感して欲しいものだと思う。

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除草剤を使わないために除草シートを敷き始める

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毎年、この季節になると草との戦いが始まる。特に雨が降り続く梅雨になるとあっという間に伸びてしまう。世の中、一般的には除草剤をまいてしまうのだろうが、自然と体の健康のために使いたくないので、今年は庭に除草シートを敷いてみることにした。

まだ、敷き始めたばかりなので、どうなるかはわからないが、これで草刈りをする機会が減ればありがたい。蚊を退治するにも蚊取り線香は、焚いていると頭が痛くなってしまうので使っていない。その変わり蚊帳とつって寝ている。こうすれば、かの羽音に悩まされずに朝までぐっすり眠ることができる。

家に体にも薬はあまり使いたくないもので、自然を意識して自然治癒力を高めることが大切なのだと思う。

二つのフィクション

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この世には二つのフィクションが存在する。その一つはいわゆる虚構としてのフィクションであり、もう一つは現実という名のフィクションである。現実を一つのフィクションとして生きることが出来るとき、初めてこの世の苦しみから解放されることができる。

夢の中で体験することと現実の中で体験することに違いがあるのだろうかと以前感じたことがある。どちらも意識が体験していることで、同じと言えば同じと言えるかもしれない。ただ、夢をそこから覚めようと思えば、いつでも覚めてその関係性の中から抜け出すことができる。

現実もフィクションであり、夢の世界と大差ないということを体感したなら、この現実と言われる世界から抜け出すのも、あまり難しことでも深刻なことでもないのかもしれない。今は、まだ、自殺する人たちは刹那的で周りにいる人たちに混乱と悲しみを与えることから、自ら肉体から離れるというのはマイナスなことと捉えられているが、自然にこの体から抜けでることができて、周りの人に混乱も悲しみも残さないような方法で行うことができれば、それはそれでいいことではないだろうか。

肉体を離れても継続する意識と生命場の存在を明らかにすることが、すべてのこの世の混乱を救う唯一の方法なのではないだろうか。

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家を整える

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最近は、庭の草を刈ったり。松の剪定をしたり、木を切ったりと家を整えることに忙しい。今日は、去年買って置いた日除けを取り付けた。去年買ってはみたもののどうやってとりつけようかと思案しているうちに一年が経ってしまった。ふと棒に巻き付けて、それをフックにかければいいのではないかと思い、近くのカインズに行ったら、ちょうどいい棒が見つかった。

それは、ステンレスの物干し竿だった。長さの調整もできるし値段も安く、日除けをかけるにはうってつけの物だった。ちょうどいい時にちょうど良い物が見つかる物だ。ただし、嫁さん以外は。(笑)

日除けをかけると思っていた以上に涼しかった。こんなことなら去年すぐにやっておくべきだった。あまりに涼しくなったので、今度は待合室用にすだれを買ってきた。明日取り付けることにしよう。

家を整えることは、体を整えることと同じで気持ちが良い物だ。それに何となくこれから、いいことがおきそうな気分にもなってくる。

目から来る肩凝り頭痛を癒やす

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パソコンを長時間使っていると目が疲れ、姿勢も悪くなって、首、肩、背中が凝り、猫背になってしまい頭痛が起きてくる。昨日も10時間もパソコンをしていて具合が悪くなったと言って患者さんが来た。また、細かい文字をみているので、余計に目が疲れると言っていた。確かに、長時間パソコンに向かっていると体が固まっておかしくなってきてしまうものだ。

気功指圧で背中に両手を入れて心臓の裏から気を入れてほぐしてゆくと精神的な緊張もとれて、心と体が緩んで癒やされて行く。両手の平で包み込むようにして気を送ってゆくと安心して、日頃の緊張や仕事からくるストレスから解放されて行く。両手から放たれて気は、患者さんの全身に行き渡り、しだいに内臓もほぐれ動き出し、お腹が鳴ったりして息を吹き返す。

初めは冷えと疲労でパンパンに張っていたお腹も、柔らかくなり、体全体の血流もよくなり温まってくる。気功指圧が終わる頃には、ほっとして緩んだ背中が治療ベッドの上に座っている。最後に肩甲骨の間と肩、首を緩め首の後ろに右手を当てて脳の中心から目に向かって気を入れると目がパット開け世の中が明るく見え始める。こうした癒やしが、パソコンで疲れ切った体に訪れる。

同じような症状で苦しんでいる方は、ぜひ一度薬師堂の気功指圧を受けてみてください。

死に行く者の定め、残されし者の務め


昨日は、隣組でお葬式があった。同じ班の人だったので、いつものように受付の手伝いに行った。昔は、家でお葬式をするのが普通だったので、隣組の人たちが2,3日そうでで料理をしたりして手伝ったものだが、今は、斎場ですることが多くなって、受付だけ手伝うという軽いものになった。今にして思えば、よくもあんなにもお手伝いすることができたものだと感心する。でも、それが辺り前だったので、別に負担に感じなかったのだろう。「死に行く者には、定めがあり、生き残った者にも務めがある」ということなのだと思う。

 

実は、この言葉、今日患者さんの口から出た言葉だったのだ。あまりに素晴らしい言葉だったので、思わずメモして使わせてもらった。彼も最近、突然お母さんを亡くしたばかりだった。そして、そのことで今は忙しくて、せっかくできた音の城の世界で遊ぶことができていなかった。その音の城とは、心の中に築き上げた平安と喜びを味わうことのできる世界だ。49日の法要が終わったら、また落ち着いて自分の世界へ入れるのではないかという話をした。

そして、彼は、残された者の務めは、いつまでも亡くなられた方の喪失を嘆き悲しむばかりではなく、その悲しみを乗り越えて充実して生きることではないかとも言っていた。確かにその通りだと思う。

今回、葬式の受付を手伝って思ったのだが、受付で椅子に座って葬儀の進行を見ている最中に、体の中心からエネルギーが湧き上がって今にも爆発してもおかしくないような感じだった。葬儀というのは、単に死者を見送る場ではなく、生命エネルギーの転換装置なのではないかと思った。そこで肉体を脱いだ魂は、新たなエネルギー体となって旅立ってゆく。

気功教室でそのことを話したら、お葬式に行くと帰って調子が悪くなるという生徒さんがいたが、それは死を否定的にしか見ていないことから起こるからなのかもしれない。確かに今まで毎日身近に居て慣れ親しんだ人の死は悲しいが、死を肉体からの解放として捉えれば、もっと違った新しい世界が見えてくるのではないだろうか。

人は幸せにすることもなることもできない、ただ幸せであることはできる。


この間の日曜日は、子供たちとラストコップをいう映画を見に行った。セスナでミサイルに体当たりして阻止するなど、漫画が原作かと思ったが、そうでもないようだ。ちょっと内容的には薄っぺらな感じだった。

 

その中で「娘さんを幸せにします」という台詞があったような気がするが、果たして本当の意味で人が人を幸せにすることなどできるのだろうかと思う。もし仮に他の人と居ることで最高に幸せだと思っても、事故か何かでその人が失われてしまったら、その瞬間から耐えがたいほどの絶望と不幸に襲われるだろう。だから、誰かに幸せにしてもらうということはできないのだ。

ただ、どんな状況においても自分の中が喜びのエネルギーでいっぱいに満たされていれば、幸せな状態でいることはできるだろう。それは、ちょうど回転するコマのような状態といえるかもしれない。自律して何者にも依存せずに一人で満たされていられる時こそ本当の幸せがあると言える。

きみまろではないが、あれから40年立って下取りの効かない存在になっても、未だに幸せでいられることが、本当の幸せなのだと思う。

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