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死に行く者の定め、残されし者の務め


昨日は、隣組でお葬式があった。同じ班の人だったので、いつものように受付の手伝いに行った。昔は、家でお葬式をするのが普通だったので、隣組の人たちが2,3日そうでで料理をしたりして手伝ったものだが、今は、斎場ですることが多くなって、受付だけ手伝うという軽いものになった。今にして思えば、よくもあんなにもお手伝いすることができたものだと感心する。でも、それが辺り前だったので、別に負担に感じなかったのだろう。「死に行く者には、定めがあり、生き残った者にも務めがある」ということなのだと思う。

 

実は、この言葉、今日患者さんの口から出た言葉だったのだ。あまりに素晴らしい言葉だったので、思わずメモして使わせてもらった。彼も最近、突然お母さんを亡くしたばかりだった。そして、そのことで今は忙しくて、せっかくできた音の城の世界で遊ぶことができていなかった。その音の城とは、心の中に築き上げた平安と喜びを味わうことのできる世界だ。49日の法要が終わったら、また落ち着いて自分の世界へ入れるのではないかという話をした。

そして、彼は、残された者の務めは、いつまでも亡くなられた方の喪失を嘆き悲しむばかりではなく、その悲しみを乗り越えて充実して生きることではないかとも言っていた。確かにその通りだと思う。

今回、葬式の受付を手伝って思ったのだが、受付で椅子に座って葬儀の進行を見ている最中に、体の中心からエネルギーが湧き上がって今にも爆発してもおかしくないような感じだった。葬儀というのは、単に死者を見送る場ではなく、生命エネルギーの転換装置なのではないかと思った。そこで肉体を脱いだ魂は、新たなエネルギー体となって旅立ってゆく。

気功教室でそのことを話したら、お葬式に行くと帰って調子が悪くなるという生徒さんがいたが、それは死を否定的にしか見ていないことから起こるからなのかもしれない。確かに今まで毎日身近に居て慣れ親しんだ人の死は悲しいが、死を肉体からの解放として捉えれば、もっと違った新しい世界が見えてくるのではないだろうか。

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