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2017年9月

純粋に死を悼むだけの葬儀が必要だ


父が亡くなり、葬式があった。先週の日曜日には、カラオケに家族で行って、母に対して「君がすべてさ」と歌ったばかりだった。ところが、3日後の水曜日に腹痛を訴え、病院に行き入院し、翌朝、危篤という電話があり、病院に駆けつけ、それから5時間たらずで亡くなってしまった。こんなに急に行くとは、家族の者もだれも思っていなかったので、驚き悲しんだ。

その後は、動揺しながらも葬儀屋さんに電話して、葬儀の準備が始まった。そして、葬儀が終わるまでは、息つく暇もなく、悲しんでいる余裕もなかった。4日後の日曜日の午後にはようやく、すべれが終わり、ほっと一息つくことができた。すべてが、型どうりに進んだが、その間、まったく死者を悼む時間はなかった。後に残されたのは、200万円近い支払いと疲れだけだった。

これで本当にいいのか疑問に思う。葬儀屋さんと坊さんのために葬儀があるようだ。もっと純粋に死者を弔い、家族と親戚、親しい友人と時を過ごすことはできないものだろうか。これが当たり前だと洗脳されているので、皆疑問に思わないのだろうか。

今日は、お寺に支払いに行ったが、若い住職の母親が対応してこれからの予定を話すだけで、まるで死に対する対応のしかたやこれかの過ごし方心の持ち方といった檀家の傷ついた心を癒やす救いの言葉もなかった。これって宗教なのだろうか。これでは、早晩、寺は見捨てられるのではないかと思った。

「生死を明らかめるは、仏者一大事の因縁なり」と言った道元の言葉を忘れているとしか思えない。もっと簡単だけれども心のこもった葬儀が必要なのではないかと強く思った。

長生きを吉とする社会は、すでに終わっている

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昨日は、赤城の敷島の湯に夕方子供と行った。すでに日は傾き、西の稜線に消えようとしていた。昼間は、真夏のように暑かったのだが、温泉に向かう途中は、空気が澄んで涼しい風が車窓から吹き込み、すでに秋の気配を感じる気象になっていた。

温泉に入るとやはりお年寄りが多く、こうして温泉に入れることが私も含めて何よりの幸せと感じているのだと思う。そんな中に若者も何人か友達と連れだってきている。

何日か前に、90才以上のお年寄りが、200万人を超えたという記事が出ていた。健康で元気な状態なら何年生きても、それはそれでめでたいと言えるのかもしれないが、病気をして若者の世話になるようだとこの数字は、単純には喜べないなかもしれない。

こうして年寄りが増え、若者が少なくなってゆく社会は、ある意味自然の摂理に反しているかもしれない。自然界の動物の社会では、このような現象は起こりようがないのではないだろうか。江戸時代以前の社会では、まだ医療が発達していなかたので、長く生きることのできる人は希で、長老は、皆に尊ばれて、尊重されていたのかもしれない。それだけ希少な存在だったのだから。ところが、現在の日本では、年寄りは毎年、どんどん増えて、若者は逆にどんどん減っている。これでは、社会を維持することができない。

やはり、「生きる」ことの意味を一度、皆で真剣に考えなくてはならないではないだろうか。自分の場合は、肉体ではなく、「エネルギーの流れとしての私」が本当の私であるということを確信しているので、あまり長く生きることにはこだわっていない。むしろ「さっさと悟って、さっさとあの世に帰る」ことを目標にしている。だから、健康診断もまったく受けない。自分の本当の姿がなんなのかということが、実感を持ってはっきりと確信できれば、肉体に執着して、社会そものもを崩壊させてしまうような過ちを犯さずに済むのではないだろうか。

左の心臓の裏の痛み

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夏が終わってそろそろ夏バテがでる頃だ。自分も先週の後半あたりから、なぜか背中の心臓の裏、神道、心癒のツボの辺りが痛んだ。そして、同じ場所が痛む患者さんが、何人か立て続けにきた。

初めのうちは、原因もわからず放っておいたが、もしやと思い、背中には手が届かないの、胸の前、ちょうど左の乳首のやや下内側の肋骨の間に置き針をしたら、しだいにその痛みも消えていった。やはり、夏の疲れが心臓の裏の痛みとして出たようだった。

夏の疲れとは、胃腸の冷えによる疲れで、腸が冷えれば、気が上に上がり、下から胃、心臓と突き上げてくる。夏は、冷たい物を飲み過ぎるので、夏に終わりに近づき、しだいに周りの気温が下がってくると背中の張り、肩凝り、首、頭の痛みとして出てくる。そんな時は、一人で我慢せずに薬師堂に気楽にきて頂ければ、痛みも取れてすっきり爽快な気分に戻ることができます。


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映画館のチケット売り場が消えた

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今日は、子供と「関ヶ原」を見に行った。石田三成はいろいろな描かれ方をしているが、この映画では義を通す男として描かれていた。最近の大河ドラマでは、戦闘シーンを割愛してしまうことが多く不満に思っていたが、この映画では、見応えのあるシーンが続いて満足できた。それなりに良いできの映画だと思った。

ところで、久し振りにイオンシネマに行って驚いたのだが、チケット売り場のカウンターが無くなって、自動精算機に置き換わっていた。これには、かなりがっかりした。やはり、人が応対してくれることが、人間としてうれしいからだ。最近は、ゲオでもそうだが、自動精算機を導入する所が増えている。それは、結局、人から働く場所を奪っているのだが、人が暮らす社会で、人の仕事を奪うことが、本当に良いことなのか、かなり疑問だ。利益ばかり追求する社会は、結局、人が生きる道も奪ってしまのではないだろうか。

ロボットばかりで人のいない社会を目指しているというのは、かなり矛盾している。人がいて人が生き生きと働ける社会こそ目指すべきではないだろうか。

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落ち込んだ時は、雄大な風景の中に身を置くのがいい

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「エネルギーの流れとしての私」として、誰もが自覚し生きることができれば、この世は、もっと住みやすい場所になると思うのだが、現実はそれとは逆で硬い岩ような規則でがんじがらめに縛られている。

 

どうして日本人は、こうしたつまらない規則ばかりことこまかに作るのだろうか。問題なのは、規則によりも実質だと思うのだが、現実の世界では実質よりも規則の方が重要視されてしまう。しかも、くだらない規則ばかり増えて、ますます息苦しい世の中になっている気がする。

そしてこんな状況で息苦しくなるといつもの場所へ行く。いつもの場所で裾野の長し赤城山を見る。畑の作物の生育と赤城の姿が自分の心を静めてくれる。雄大な自然の光景に元気をもらうと家に帰って、般若心経を読んだ。そうするとエネルギーが身体の奥から湧いて来て身体が熱くなってくる。雄大な自然の風景と般若心経は、元気になるのにかかせない。

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