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長生きを吉とする社会は、すでに終わっている

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昨日は、赤城の敷島の湯に夕方子供と行った。すでに日は傾き、西の稜線に消えようとしていた。昼間は、真夏のように暑かったのだが、温泉に向かう途中は、空気が澄んで涼しい風が車窓から吹き込み、すでに秋の気配を感じる気象になっていた。

温泉に入るとやはりお年寄りが多く、こうして温泉に入れることが私も含めて何よりの幸せと感じているのだと思う。そんな中に若者も何人か友達と連れだってきている。

何日か前に、90才以上のお年寄りが、200万人を超えたという記事が出ていた。健康で元気な状態なら何年生きても、それはそれでめでたいと言えるのかもしれないが、病気をして若者の世話になるようだとこの数字は、単純には喜べないなかもしれない。

こうして年寄りが増え、若者が少なくなってゆく社会は、ある意味自然の摂理に反しているかもしれない。自然界の動物の社会では、このような現象は起こりようがないのではないだろうか。江戸時代以前の社会では、まだ医療が発達していなかたので、長く生きることのできる人は希で、長老は、皆に尊ばれて、尊重されていたのかもしれない。それだけ希少な存在だったのだから。ところが、現在の日本では、年寄りは毎年、どんどん増えて、若者は逆にどんどん減っている。これでは、社会を維持することができない。

やはり、「生きる」ことの意味を一度、皆で真剣に考えなくてはならないではないだろうか。自分の場合は、肉体ではなく、「エネルギーの流れとしての私」が本当の私であるということを確信しているので、あまり長く生きることにはこだわっていない。むしろ「さっさと悟って、さっさとあの世に帰る」ことを目標にしている。だから、健康診断もまったく受けない。自分の本当の姿がなんなのかということが、実感を持ってはっきりと確信できれば、肉体に執着して、社会そものもを崩壊させてしまうような過ちを犯さずに済むのではないだろうか。

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