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純粋に死を悼むだけの葬儀が必要だ


父が亡くなり、葬式があった。先週の日曜日には、カラオケに家族で行って、母に対して「君がすべてさ」と歌ったばかりだった。ところが、3日後の水曜日に腹痛を訴え、病院に行き入院し、翌朝、危篤という電話があり、病院に駆けつけ、それから5時間たらずで亡くなってしまった。こんなに急に行くとは、家族の者もだれも思っていなかったので、驚き悲しんだ。

その後は、動揺しながらも葬儀屋さんに電話して、葬儀の準備が始まった。そして、葬儀が終わるまでは、息つく暇もなく、悲しんでいる余裕もなかった。4日後の日曜日の午後にはようやく、すべれが終わり、ほっと一息つくことができた。すべてが、型どうりに進んだが、その間、まったく死者を悼む時間はなかった。後に残されたのは、200万円近い支払いと疲れだけだった。

これで本当にいいのか疑問に思う。葬儀屋さんと坊さんのために葬儀があるようだ。もっと純粋に死者を弔い、家族と親戚、親しい友人と時を過ごすことはできないものだろうか。これが当たり前だと洗脳されているので、皆疑問に思わないのだろうか。

今日は、お寺に支払いに行ったが、若い住職の母親が対応してこれからの予定を話すだけで、まるで死に対する対応のしかたやこれかの過ごし方心の持ち方といった檀家の傷ついた心を癒やす救いの言葉もなかった。これって宗教なのだろうか。これでは、早晩、寺は見捨てられるのではないかと思った。

「生死を明らかめるは、仏者一大事の因縁なり」と言った道元の言葉を忘れているとしか思えない。もっと簡単だけれども心のこもった葬儀が必要なのではないかと強く思った。

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