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2017年10月

生と死を繋ぐ音の絆


昨日の気功教室で、般若心経の唱える時は、「MU~という音を身体に響かせてその音に言葉を乗せるといいですよ。」と伝えた。その音の響きが、エネルギーとしての存在になった故人に響きますからと。「MU~という響きは、シーンという静寂の音の元響いている音で、般若心経に出てくる「無」は、何もないということではなくて、「MU~」という基本の音が響いている元の世界のことを表しているのだと思う。」とも伝えた。

一番、元の音の世界、純粋な意識の世界へ帰ることが大切なのだと思う。その基本の音を身体に響かせる時に、生と死を繋ぐ音の絆が生まれる。それ故に人は、葬儀でお経を唱えるのだろう。葬儀場にこだます音の響が、死者の魂と弔い、生と死と繋ぐ架け橋となっている。そのせいだろうか、葬儀でお経の響を聞いているといつも気持ちが良くなってしまうのである。

話は変わるが、昨日往診に行った老人ホームで、一人の認知症のおじいちゃんが「戦争で、お国の為に戦ったのに、なぜこんな風に監禁されなくちゃならないのか。私は、今日自害します。戦争で死ななかったのにこんな所で死ぬなんて、私は何も悪いことした訳ではないのに。」と言って、周りの人を困らせていた。毎日、こうした老人とやりとりしている老人施設のスタッフの人たちも大変だなと思うと共に、もっと正しい死生観さえあれば、こうした悲劇を毎日繰り返す必要もないのかもしれないと思った。

自分という存在が、単なる肉体ではなく、音の響、波動であるということがわかれば、こうして肉体に執着して、かえって苦しみ悩むという社会は、もっと希望に満ち生き生きとした社会に変わるのかもしれない。





般若心経を読むということは要するに振動数を上げること

般若心経を1300回を唱え終わった。最近、思うのだが、「般若心経を唱えるということは、要するに振動数をあげることなのだと思う。」 氷が水になり水が水蒸気になるように般若心経を唱えて振動数を上げることで、自分たちの様態が変化してゆく。肉体という物質的な段階から、もっと振動数の高い存在へと変化して行くのだと思う。

疲れると身体が重くなるというのは、それだけ私たちの身体の振動数が落ちてしまっている状態だ。そこで気功指圧で気を入れ行くと、患者さんの身体の細胞の振動数が上がりだんだんと身体が温まり元気になってゆく。

先週は、腰がだるく痛いという患者さんが、立て続けに来た。おそらく気温が10度以上急に冷えて、内臓が冷え大腰筋などの腰の内側の筋肉が硬くなり腰痛が起きたのだろう。そこで気功指圧をしたのだが、なんとその後こちらの腰が重くだるくなり軽く痛むようになった。温泉に入り温めて、般若心経を読むことで振動数を上げたら、再び身体の中心から熱くなり元気が復活した。声とは、音でありまさに波動だと言える。お経を声を出して読むことで、身体の振動数を上げることが、元気になるにも次の存在の段階へと進むためにも大切なことだと思う。

首と腰の痛みがたった2回で完全に消え去る

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一昨日の夜7時ぐらいに突然、初めての患者さんが訪ねてきた。檀那さんは、首と腰が痛くて車から降りて来るのも辛いので、奥さんが治療してもらいたいと尋ねてきた。ちょうど7時から、別の患者さんが来るのを待っていた所だったので、その後の8時過ぎならなんとかなりますと答えた。するとその変で夕飯を食べてきて、また来ますということで、その場は取りあえず引き上げてもらった。

8時が過ぎ、痛みで首を垂れた状態の檀那さんが、治療室にやってきた。なんとか治療台に横になってもらって、針の治療を始めた。初めは腰に針を打って、そこに気を送り、痛みを腰から足の方に誘導した。針に対する反応が敏感だったので、これはもしかすると大いに効くかもしれないと思っていると、気を流しているうちに「背中の痛みがどんどん取れて楽になって来ました。」と患者さんが言った。そして、痛い方腕をぐるぐると回し始めた。気に対する感受性が豊かな人なので、気を流した時の効果も抜群だった。次に背中と肩の治療をして、起き上がってベッドに座ってもらい反対側の背中を治療して終わった。

ベッドから立ち上がって患者さんの首は、まっすぐになり元通りとなり「やっと人間に帰った感じです。」と言って笑った。「こんなにすぐに楽になるとは思いませんでした。」言ったので、「気に対する感受性が豊かなんですよ。そうすると治療の効果が高いんです。」と答えた。

その時は、明日の仕事は休みにしましたと言って帰った患者さんだったが、翌日、午前中に仕事を済ませて来ましたと言ってもう一度見えた。もうほとんど治っていたのだが、まだ多少残っていた腰と肩甲骨の脇の違和感を治療で取り除き終了した。

人によって気に対する感受性は、様々なので、必ずしもすべての患者さんが同じように治るとは言えないが、気の流れやすい人にはこのように驚くほど効くことがなる。

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般若心経11111回を通過

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般若心経を11111回以上唱えた。実際には、11100周数珠を周り、さらに11回を唱え越えた。なぜなら数珠は、108あるので。唱えるといろいろな音が身体に響き、それを確かめながら唱えている。声の中にもいろいろな音があって面白い。

 そして、唱え続けることでしだいに回転する地球ごまの軸のように身体の中心に気の芯ができてくるのがわかる。この軸は、何を意味しているのかまだよくわからないが、レンズが光を集めるように気を集めることができるとしたら、この軸から放たれて気のパワーが増して、治療する力が高まる可能性もある。

この間、喫茶店に行って、般若心経を唱えると身体が熱くなるという話をしたら、「それじゃ更年期障害といっしょですね。」と言われて思わず苦笑いした。確かに熱くなるのは、いっしょだが、気功や般若心経を唱えることで、身体の中心からわき上がる熱と、ホルモンの異常で火照る熱とでは、その意味がまったく違っている。それは、同じように光るからと言って、蛍の光と太陽の光がまったく違っているのと同じだ。

この熱は、実際に治療を受けて体験してもらうとよくわかるのだが。まあ、もちろん喫茶店の人も冗談として言ったのだろうが。

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ナミヤ雑貨店の奇蹟を観た


この間の日曜日に娘と息子と「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を観に行って来た。どんな映画かまったく知らずに、娘が観たいというので、付き合って観たのだが、意外にいい映画だった。「雑貨店」自体が、シャッター通りとなった商店街の中で真っ先に消えていってしまった店だったのだと思う。でも、そんな店の店主と街の人たちとの間には、心と心の交流が確かにあった。そんなことを思い出させてくれる映画だった。

うちの実家も酒屋をやっていたが、つい最近閉めた。カインズなどのホームセンターやスパーで大量に安く酒が売れるようになってから、もうほとんど商売はあがったりだった。しかたなくクリーニングの取り次ぎをしていたお袋には、たくさんの人が話しに来ていた。単に洗濯物を出すだけで無く、お袋との会話を楽しみ来てくれたお客さんも多かった。先日なくなった親父の葬式にも、そうしたお客さんが来てくれた。そして、葬儀に参列できなかったらと言って、わざわざ線香を立てにきてくれたお客さんもいた。そうした心温まる交流が、こうした小さな店には確かにあった。

さて今の日本はどうだろうか。規制緩和で潰された小さな店の後に大型店が来た。そして、その大型店も、ネット通販の普及で消えようとしている。効率を追求するまり逆に人が生きる機会を奪おうとしている。温かい心の交流は、自動精算機の機械の声からは得ることはできない。いったい今の社会は何を求めているのやら。人と人が心を持って交流すること意外に求めるものがあるのだろうか。そんなことを思い出させてくれる映画だった。

そうだ般若心経を唱えよう!


あまり構えることもなく、読みたい時に般若心経を声に出して唱えてみる。別に僧侶から正式に習った訳でもなんでもないので、この読み方が正しいのかどうかもわかりません。しかし、声を出して唱えていると身体の中心が熱くなり、気がわき上がってくるのがわかります。
そして、元気になってゆきます。

正しいかどうかということよりも、自分が般若心経を唱えることによって、少しでもこの世の悩みから解放されて、元気になってゆくことが大切なのだと思います。周りの形を整える前にとにかく唱えてみることが必要ではないかと思います。

そんな意味合いを込めて、恥ずかしながらこの動画を公開してみることにしました。本職のお坊さんではないので、読み方が少し違っているとは思いますが、声からでる元気が皆さんに少しでも伝われば幸いだと思います。皆さんも困ったり悩んだり落ち込んだ時には、ぜひ、般若心経を唱えて元気を取り戻してみてください。

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