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読み解く般若心経 パート4

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今日で般若心経の解説も4回目になります。今日は、「舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。」について考えてみたいと思います。この部分はこちらのサイトに以下のような訳が載っています。

以下引用

「そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ形あるものは実体がないことと同じことであり実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである。したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり,実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。残りの、心の四つの働きの場合も,まったく同じことなのである。」

引用終わり

舎利子とは、仏陀の弟子のシャーリープトラのことだそうで、ここでは彼に語りかける形で説かれています。この舎利子は、この後すぐにもう一度登場するので、読んでいるとその次に繋がってしまい、この部分を割愛していしまうことがよくあります。でも、色即是空、空即是色というのは、般若心経にとって重要な部分なので、うっかり読み飛ばす訳にはいきません。

「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」に関しては前回の五蘊の所で説明したように物質は、その原子、分子の振動数の変化でその状態を変えるので、物質は、何もないように見える状態になることもあるし、何もない所から物質が現れることもある。すなわち、物質は、一気に分解されて空中に分散されることもあるし、一気に物質されることもある。ということだろうか。それは、水が気温が零下になれば、氷となり100度を越えれば水蒸気となって見えなくなるのと同じ事を言っているのだと思えばわかりやすい。

「受・想・行・識・亦復如是」は、このことは精神作用についても同じようなことが言えると言っている。つまり、人という形を持って存在する時は、いろいろな形で現れるが、肉体を失えば、表現できないので無いように見える。しかし、そうした精神作用は見えなくなっただけで無くなった訳ではないということだと思う。

 

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