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読み解く般若心経 パート8

20171218

さて今日も般若心経の続きを見ていきましょう。「無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃」までです。

 

苦集滅道、四諦と言って仏陀が最初の説法で説いたのだという。

 

苦諦とは、人間にとってこの世の一切が苦であるということの真相、現実のことだという。確かにこの世は苦しいことばかりが多い。神経というのは、痛みも快感も感じることができるが、喜びは一瞬で消えるが痛みはほんの短い間でも永遠に続くように思える。だから、この世の本質は苦だというのだろう。

 

集諦(じったい)とは、苦が様々な悪因を集めることで起こるいうことだという。苦集諦ともいい、苦には原因があるという真理のことだという。苦が表れる素となる煩悩のことだという。具体的には、貪欲、瞋恚(しんに)、愚痴などの心の穢れのことをいい、その根本である渇愛のことでもあるという。つまりは、人間であれば、誰しも持っている衝動的な欲求のことだろうか。食欲、性欲などの欲求は、この肉体を維持するために自然に備わっているのものなのでこれを乗り越えることは難しいと思う。最近の不倫報道といい、確かにここを踏み間違えて苦境に落ちいることも多いものだ。しょうがないといえば、しょうがないのだが。ついついやってしまうのが、人の常か。人間だものって所だろうか。

 

滅諦とは、苦の原因を滅するということ。無常の世を超え、執着を断つことが苦しみを滅した悟りの境地であるということだそうだ。確かに冷静に考えてみると自分の中にある執着の心があらゆる苦しみの原因になっていることがわかる。つまりあらゆる苦しみの原因は、自分自身の中にこそあったのだということがわかり愕然とする。

 

道諦とは、そうした苦しみを脱して悟りに至るための道、実践方法がちゃんとあるということらしい。それが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道であるという。ああよかったよかったこれでやっとこの世の苦しみから解放されることができるというものだ。どんなにすばらしい教えもその具体的な実践方法がなければ、そうなれないのだから。

この文章でも。究極の悟りの境地では、今書いた四諦のことも否定している。「無明もないのだから、智慧もなくそれを得ることもなく、すべてを得ることが無いので、悟りを求める修行者は、その境地にいるので心にわだかまりがなく、わだかまりがないので、恐れもなく、一切の倒錯や妄想から自由な、完全に解脱した自由な世界にいるのである。」と言っているのだろうか。

普段の我々の焦点距離は身近く、自分のとって得か損かという視点で物事を捉えていることが多い。しかし、般若心経の境地においては、その視点を上に引き上げて宇宙の中心、純粋な意識の中心から観た場合のことを言っているのだと思う。こうした視点で政治家が政治を行えば、世界中の人が幸せになれるのだと思うが、残念ながら、今の世界の指導者は、自己中心的で自分さえ自分の国さえよければ、世界はどうなってもいいという人ばかりだ。こんなことでは、明日の世界がどうなるかわからないので、日々般若心経を唱えて本当の世界にしっかりと意識の焦点を合わせて、どっちにどうころんでも大丈夫のように心がけていたいものだ。

 

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